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お兄ちゃんとの大切な想い出 連載301〜310

「お兄ちゃんとの大切な想い出」に掲載した連載301〜310(ここでの連載120〜129)を抽出したものです。番外編もあります。(管理人:お兄ちゃん子)

291〜300
301302303304305
306307308309310
311〜320

●連載301(ここでの連載120)●
2003年7月14日(月)20時00分

風に煽られた水面みなものように、お兄ちゃんの瞳が揺らめきました。

「……なに言ってるんだ。俺は……お前を無茶苦茶にしてしまう」

「いいよ。無茶苦茶にして」

お互いに正気を失っていたのかもしれません。
もの凄い事を言い合っていました。

「ああ」と大きなため息を吐いて、お兄ちゃんは背を向けました。

「これ以上……情けないところを見ないでくれ」

そしてそのまま、ドアを開けて家に消えていきました。
わたしはしばらくのあいだ、ほうけたように立っていました。
わたしではお兄ちゃんを助けられないのか……と思いながら。

お兄ちゃんがボロボロになるまで命を懸けて愛した人、
駆け落ちをしてまでいっしょになろうとした人、
それなのに、あの女は、お兄ちゃんより神様を選んだのです。

目の前の扉に、色素の薄い、妖精のような姿が浮かびました。
赤く燃える鉄のような塊が、胸から喉にせり上がってきます。
わたしは、父親以外に初めて、目の眩むような憎悪を抱きました。

のろのろと家に入り、階段を上がって、お兄ちゃんの部屋のドアを開けました。
お兄ちゃんはベッドに横たわって、放心していました。
お兄ちゃんとあの女がセックスをしていたベッドに。

耐えられなくなって、お兄ちゃんの手を取りました。
お兄ちゃんは驚いた顔をしましたが、手を引かれるままに起き上がりました。
わたしはそのまま、お兄ちゃんを自分の部屋に引っ張っていきました。

部屋の真ん中で、お兄ちゃんと手を繋いでいると、名前を呼ばれました。

「○○?」

わたしは心臓が跳ね上がって、飛び上がりそうになりました。
言葉など、なにも用意していません。

「え……あ……お兄ちゃん、耳掃除、してあげる」

わたしは耳かきを出してきて、ベッドの上に正座しました。

「ん……頼む」

お兄ちゃんは目をつぶって、わたしの膝に頭を載せました。
お兄ちゃんの耳は、汚れていました。

あの女は耳掃除もしてあげなかったのか、と思いました。
けれど、その名前をお兄ちゃんの前で口にすることはできません。

両方の耳を綺麗にし終わると、お兄ちゃんは起きあがりました。

「○○、替わろうか」

「……わたしは、いい」

今お兄ちゃんに耳たぶをいじられたら、声が出てしまいそうでした。

「それより……腕枕、して」

別れが近かったせいかもしれません。
お兄ちゃんは黙って、わたしの言うとおりにしてくれました。

お兄ちゃんの肩に顔をうずめ、たくましい胸に取りすがると、
お兄ちゃんの腕に抱きすくめられているようでした。
お兄ちゃんの汗くさい匂いがしました。

どくんどくんと高鳴る鼓動が、どちらのものか判らなくなりました。
なにもかも忘れてしまいそうなあたたかさと、安息がありました。

抱きつこうとして、がくっ、と腕が空を切りました。
目を開けると、お兄ちゃんは居なくなっていました。
いつの間にか、わたしは眠っていたのです。

お兄ちゃんは行ってしまった……わたしは自分の膝を抱いて、
目を閉じました。涙は湧いてこず、胸の痛みだけがありました。

夜になって、帰宅した父親に、お兄ちゃんとgさんが家を出たことを、
簡潔に告げました。父親はふん、と鼻を鳴らしただけでした。
勘当した息子にはもう興味がない、と言わんばかりに。

けれど、お兄ちゃんとわたしの裏切りを、父親は決して忘れませんでした。
父親が居る日は、夕食の度に、責め苦がわたしを待っていました。
小言でもなく、説教でもなく、愚痴に近い繰り言でした。

「△△は俺を裏切った。お前も最初からグルだったんだろう。
 親を馬鹿にしやがって。大人しい顔をして、恥ずかしくないのか、
 この裏切り者が……」

わたしが席を立つまで、こんな台詞が延々と続くのです。
毎回毎回よくも同じことを繰り返せるものだと、驚嘆するほどでした。
こんな台詞を聞かされて、食事を味わえるはずがありません。
わたしは夕食を、わずか5分で済ませられるようになりました。

寝ている時に夢をめったに見ないわたしが、たまに夢を見るようになりました。
いつも決まって同じ夢です。

どこか判らない薄闇の中に、わたしは立っています。
わたしより背の高い、人影が目の前に現れます。
父親です。
父親はいつもの繰り言を始めます。

わたしはなぜか、手に小さなナイフを持っていました。
わたしは渾身の力を込めて、ナイフを父親のお腹に突き立てます。
いえ……突き立てようとするのですが、力が入りません。
水の中にいるかように、緩慢な動作でナイフを突き出しても、
5ミリぐらいしか刺さらないのです。

父親は自分のお腹にちらりと視線を落として、
「お前は親になんてことをするんだ、恥ずかしくないのか、
 この人殺しが……」
と、繰り言を続けます。

いつもここで、わたしは目覚めます。
荒い息が、しばらく止まりません。
全身が冷たい汗でびっしょり濡れています。
わたしは自分が狂ってしまったのか……と思いました。

この夢を、わたしはその後数年間、月に一度の割合で見ることになりました。
これ以上の地獄を、わたしは知りません。

(続く)

●連載302(ここでの連載121)●
2003年7月15日(火)19時35分

人間の、環境に適応する力は大したものです。
水深一千メートルの水圧に耐える深海魚のように、
終わらない地獄にも慣れることはできるのだ、と思いました。

深海の底に似た暗く静かな世界で、わたしは生きていました。
意識を半分は眠らせていたのかもしれません。
泥がかき混ぜられないように、なるべく家に居たくなくて、
遅刻してでも学校に行くことが多くなりました。

学校ではほとんど、自分の席で本を読んでいました。
本の中の世界は、わたしがページを閉じれば終わります。
わたしを脅かすことはありません。

高校受験が近づいて、周囲では勉強の話題が多かったようです。
その話の輪にわたしが加わることはありませんでした。
今のクラスには、親しい友達が居ません。
休み時間になると、わたしの席だけ、離れ小島になりました。

そんなある日、いつものように読書をしていると、
わたしに話しかける声がありました。

顔を上げると、見覚えのある顔のクラスメイトの女子でした。
少し考えて……hさんだ、と思い出しました。
わたしになんの用だろう、と疑問に思いながら、返事をしました。

「なに? hさん」

「ああよかった……。
 なかなか返事してくれなくて無視されてるのかと思いマシタ」

hさんはおどおどした様子で、妙に焦っているようでした。

「クラスメイトなのに、どうして敬語を?」

「あはあはあは……。××さん、なんか怖くて……。
 同い年の感じがしないんデス」

微妙に失礼なことを言われたような気がしましたが、
指摘すると余計に萎縮しそうだったので、聞き流すことにしました。

「それで……わたしになにか用事?」

「いえあのその……用事は無いんですケド、
 いっしょに帰りたいな……なんて……だめデスカ?」

「別にかまいませんよ」

わたしの方まで調子が狂ってきました。

冬の早い夕暮れの道を、hさんと並んで歩きました。
hさんはしきりに、クラスの噂話やタレントの話をしてきます。
わたしは「うん、そうね」「そうなの」と、言葉少なに答えます。

相変わらず、hさんがなんのために話しかけてきたのか、謎でした。
クラスの事情に暗く、テレビも観ないわたしは、
自分でも面白い話し相手だとは思えません。

「hさん?」

「え、なんデスカ?」

「わたしと話していても、つまらなくない?」

「つまらなくなんかないデス!
 ……××さんは、つまらないんデスカ?」

しょげかえった様子のhさんに、どう返事したらいいものかと困惑しました。

「そういうわけじゃないけど……今まで話したことがなかったから、
 どうして今になって、って思ったの」

「本当はずっと前から話しかけようと思っていたんですケド……。
 ××さんカッコいいデス」

意外な評価に、わたしはぽかんとしました。

「格好良い? わたしが?」

「周りに流されない感じがして、なにがあっても平然としてるじゃないデスカ。
 わたしなんか、すぐオロオロドキドキしちゃうのに……」

「…………」

どういうわけか、過大評価されているようでしたけど、
うまく否定できる言葉が見つかりませんでした。

hさんを見ると、背中を丸めてうつむいています。
気弱そうな目立たない顔立ちです。
背は低くないのに、猫背のせいで姿勢が悪くなっていました。

「hさんは、背筋を伸ばした方が格好良いと思うよ」

「そ、そうデスカ?」

hさんの笑顔を見て、媚びるように笑わなくても良いのに、と思いました。

こうして、UとVはクラスが違っていたせいもあって、
hさんといっしょに下校することが多くなりました。
家でも学校でもほとんど無言を通していたわたしにとって、
ささやかな楽しみができました。

ある日、わたしがお昼に登校すると、担任に呼び出されました。
生徒指導室に入ると、担任が待っていました。

「失礼します。遅刻してすみません」

「呼び出したのはその話じゃないの。
 ××さん、定期テストや模擬テストぜんぜん受けてないでしょう?
 なんにも資料がないと、進路指導会議のとき困るんだ。
 体の具合が悪くなかったら、ここでテスト受けてくれない?」

担任は5教科分のテスト用紙を広げました。

「授業には出なくていいんですか?」

「今日はあとロングホームルームだけだから大丈夫。
 わからないところがあったら飛ばしちゃっていいから」

わたしは独りでテストを受けることになりました。
6限終了のチャイムが鳴って、先生が戻ってきました。

「どう、疲れてない? どれぐらいできたかな?」

(続く)

●連載303(ここでの連載122)●
2003年7月16日(水)15時45分

「いま終わったところです」

「えっ、もう?」

先生は驚いた顔をして、答案用紙を取り上げました。
回答欄はぜんぶ埋まっています。
5教科分を2時間余りで終わらせたので、肩がひどく凝っていました。

先生が黙って答え合わせをしているあいだ、
わたしは目をこすって休んでいました。

「……授業に出ていないのに、どうしてほとんど満点を取れるの?
 家庭教師を頼んでいた……わけじゃないのね」

先生は困惑したように首を傾げました。

「そんな体力があったら、毎日学校に来ています」

「それもそうね……まあ、これなら問題ないでしょう。
 疲れているのに悪いんだけど、進路希望調査も書いちゃってくれる?
 ○○さんはまだ一度も出してないでしょう?」

「はい。……保護者の印鑑はどうしましょうか?」

「本当は判子がないとまずいんだけど、仮に、ってことでいいよ。
 用紙をもう1枚渡しておくから、家で判子を押して貰ってきてくれる?
 三者懇談の時にでも持ってきてくれたらいいから」

父親や母親に話をしなければならない、と考えただけで憂鬱になりました。
その表情の変化を察したのか、先生が気遣わしげに尋ねてきました。

「……ご両親は今まで懇談に来てくれたことがないんだけど、
 大丈夫かな?」

「父と母は仕事が忙しくて来れないかもしれません。
 社会人の兄が居るんですけど、兄では駄目ですか?」

「そうね……その方がいいかも。
 懇談の日時はなるべく希望通りにするから、お願いね」

担任の先生には家庭の事情を説明していませんでしたけど、
わたしの家庭のことは、職員室で噂になっていたのかもしれません。

「わかりました。
 それで、進路なんですけど……一番近い高校はどこですか?」

受験生としては異常ですけど、受験に関心の薄かったわたしは、
近くにどんな高校があるのかも知りませんでした。

「**高校ね。もっと上のランクの高校でも狙えるけど?」

**高校は平均レベルに位置する公立高校でした。

「体力的に遠くまでは通えません」

進路希望調査票に、**高校と記入しました。

「私立を受ける気はないの? 公立単願でも問題ないとは思うけど」

「私立は学費が高いですし、親に負担を掛けたくありません」

「そう……感心ね。もう帰っていいよ」

「失礼しました」

結局その日は、授業を受けずじまいで下校することになりました。
下足箱のところまで行くと、hさんが居ました。

「あれ? ××さん、来てたんデスカ?」

「あ、うん。進路希望調査で呼び出されてて」

成り行き上、この日も帰り道はhさんといっしょでした。

「××さんは、どこを受験するんデスカ?」

「**高校」

「えっ! **に?」

「**だと変?」

「……わたし、そこは無理だって言われマシタ……」

hさんはあまり成績が良くなかったようです。

「わたしも受かるとは思ってない。どうせ浪人するつもりだし」

「受かる見込みがなかったら、最初から受けさせてくれマセンヨゥ……」

進路のことで悩んでいたのか、hさんはしょげかえってしまいました。
わたしはどうフォローしていいのかわからず、分かれ道に辿り着くまで、
なんとも居心地の悪い思いをしました。

帰宅してすぐ、わたしはお兄ちゃんにポケットベルで連絡を取りました。
お兄ちゃんが出て行ってから、話すのは初めてでした。
なにか事件でもあったのかと心配したのでしょう。
程なくして電話がかかってきました。

「○○か? どうした?」

「お兄ちゃん、元気?」

「もちろん元気だ。お前は?」

「なんとか学校に行ってる。
 それで……お兄ちゃん忙しいと思うんだけど……
 三者懇談に出てくれないかな……って」

「俺が? ……ああ、そうか。親父たちじゃアテにならないわけか」

「お父さんとは、口を利きたくない」

父親に話しかけることを想像しただけで、胸が悪くなりました。

「ん、わかった。いつだ? なんとかして時間作るよ」

わたしは三者懇談よりも、お兄ちゃんに会えるのが楽しみでした。

(続く)

●連載304(ここでの連載123)●
2003年7月16日(水)19時30分

お兄ちゃんの休みに合わせて、三者懇談の予約を入れました。
生徒指導室の前の廊下で、お兄ちゃんが来るのを待ちながら、
わたしはうろうろと落ち着きませんでした。
あの別れの日以来、お兄ちゃんの声を聞いていません。

客用のスリッパの立てるパタパタという音がして、さっと振り向くと、
お兄ちゃんが歩いて来ました。
やつれた顔をしていないか心配していたのですが、元気そうです。
紺のスーツに臙脂えんじ色のネクタイが映えていました。

挨拶の代わりにお兄ちゃんは自然な笑みをこぼし、わたしも微笑みを返しました。
自分の顔がにやけてくるのを止められません。

「○○、時間はまだ大丈夫か?」

「うん、前の人が少し長びいてるから」

「元気そうでよかった」

「お兄ちゃんも……」

これから始まる懇談に緊張しているのではなく、
お兄ちゃんの凛々しいスーツ姿にわたしはのぼせていました。

心臓がはち切れそうに苦しい。
どうしよう、どうしよう……。
胸の内側がぱんぱんに膨れあがってはち切れそうです。
指を伸ばして、お兄ちゃんに触れたい。
喉の奥から言葉にならない熱い思いが噴きこぼれそうで。

その時、指導室の扉がガラガラと開いて、前の組が出てきました。
わたしの背中をぽんぽんと叩いて、「落ち着け」とお兄ちゃんが囁きました。

懇談はたったの5分で終わりました。
志望校が明確で先生も反対しなかったからです。
前の組の親子はいったいなにを話して長びいたんだろう、と不思議でした。

外に出て、お兄ちゃんは「早かったな」と言いました。

「うん……お兄ちゃんは、これからどうするの?」

「お前は?」

「わたしは、もう帰るだけ」

「そうか。それじゃ、途中までいっしょに帰るか」

「うん!」

嬉しくて嬉しくて踊り出したい気分でした。

急いで靴を履きかえに行って、校門のところで再び落ち合いました。
いつもの帰り道を、できるだけゆっくりと歩きます。
お兄ちゃんもわたしの歩調に合わせてくれました。

ただ黙って歩くだけなのに、どうしてこんなに幸せなんだろう……。
もちろん、隣にお兄ちゃんが居るからです。

「お兄ちゃん」

小さな声で呼ぶと、お兄ちゃんが振り向きます。

「ん?」

鼻にかかったような返事を聞くだけで、胸がきゅっとしました。

「……なんでもない」

「○○」

「なに?」

「お前、家でつらくないか?」

「……あの家には、帰りたくない。でも、我慢できる」

父親から二人分の罵倒を投げつけられることで、
お兄ちゃんに代わって生け贄の役を引き受けているような気がしました。
だから、心の凍るような仕打ちにも耐えられたのでしょう。

「○○……ごめんな。俺に力がなくて。お前を守ってやれない」

「気にしないで。気にしてくれるだけで、すごく嬉しい」

お兄ちゃんが立ち止まりました。わたしも足を止めました。

「お前をあの家に帰したくないよ……もう少しだけ、いっしょに居よう」

「うん」

お兄ちゃんはわたしの手を引いて、小さな公園に入っていきました。
お兄ちゃんの指に触れているわたしの指が、熱を持ったように火照りました。
木のベンチにハンカチを敷いて座り、言葉もなく、肩と肩を寄せ合いました。

長い、けれど不快ではない沈黙ののち、お兄ちゃんが口を開きました。

「仕事の方は上手くいってる。あんなに迷惑をかけたのにな」

「よかった……」

「それどころか、常連のお客さんでレストランのオーナーをしている人から、
 厨房で働かないかって誘われてる。それも婿養子に来ないか、ってさ」

「えっ、婿養子?」

「冗談に決まってるだろ。オーナーの娘はまだ中学生だぞ」

お兄ちゃんはくっくっと笑いました。

「……もう」

「新しいアパートも見つかったよ。もうじき引っ越しだ。
 今は友達のところに転がり込んでる」

「また、遊びに行っていい?」

答えが返ってくるまでに、間がありました。

「まだ……だめだ」

「そう」

「来たら、お前を帰したくなくなっちまう……」

「……ひとつだけ、お願いしてもいい?」

わたしが立ちあがると、お兄ちゃんも立ちました。

「お兄ちゃんを忘れないように……今だけ、抱きしめてほしい」

返事を待たずに、お兄ちゃんの胸に抱きつきました。
拒絶されるのではないかと背中を強張らせながら。

(続く)

●連載305(ここでの連載124)●
2003年7月16日(水)21時10分

羽毛のように優しく、お兄ちゃんの左手が背中を撫でました。
右手はわたしの髪をくしけずります。
重力が無くなったかのように、体が軽くなりました。

お兄ちゃんの鼓動とわたしの鼓動が重なって、一つになりました。
1分だったのか、5分だったのか、もっと長かったのか判りません。
夢のようなひとときでした。

お兄ちゃんの指がわたしの髪をかき混ぜて離れ、
胸が潰れるほどぎゅううううっと強く抱きしめられました。

「か、はっ」

肺から息が漏れました。
お兄ちゃんの首に預けた頭の天辺に、口付けされたのがわかりました。
力が緩められ、顔を上げると、お兄ちゃんの顔が目の前にありました。
かすかにたばこ臭い、お兄ちゃんの息の匂いがしました。

耳の奥で血流が轟々と血管を過ぎる音がしました。
お兄ちゃんの指先が、何度もわたしの頬を、耳を撫でさすりました。
火が着いたような熱さが、顔を覆っています。

「はああああっ」

吐息が漏れて、お兄ちゃんとわたしの息が混ざり合いました。
もう、立っていられません。
目を伏せて、ずり落ちないようにお兄ちゃんにしがみつきました。

お兄ちゃんはわたしを、抱きかかえるようにベンチに座らせました。
お兄ちゃんも隣に腰を下ろし、右手でわたしの肩を支えました。

「……おにい、ちゃん」

「……」

「会えなくてもいい。
 お兄ちゃんがわたしのこと好きでなくても……
 わたし、お兄ちゃんが好き。
 わたしのこと、忘れないで」

「忘れない」

お兄ちゃんは、もう一度繰り返しました。

「忘れない」

「ああ……今日は、楽しかった……。
 もう、真っ暗だね。
 お兄ちゃん、帰って」

「夜道は危ないぞ」

「ここからなら、ひとりで帰れる。
 離れたくないけど、ずっといっしょには居られないもんね」

わたしは立ちあがって、お兄ちゃんから距離を置きました。
冬の夜気が、体と頭を冷やしてきます。
水銀灯に照らされたお兄ちゃんの顔は、儚げに見えました。

「もうすぐクリスマスだな……俺は仕事が入ってて会えないけど、
 なにか欲しいものはないか?」

「ないよ。プレゼントはさっき、貰っちゃった。
 わたし、忘れない」

たとえこれが夢でも、かまわないと思いました。

「また、落ち着いたら連絡するよ」

「うん、待ってる。お兄ちゃん、元気でね」

わたしは笑顔で手を振って、冷たく暗い家へ戻っていきました。

(続く)

●連載306(ここでの連載125)●
2003年7月17日(木)22時40分

昼休み、わたしはいつものように自分の席でパンを食べながら、
本を読んでいました。
仲良しグループごとに分かれてお弁当を広げるクラスメイトたちとは、
めったに口を利くこともありません。

目の前の机に、弁当箱が置かれました。
口をもぐもぐさせながら視線を上げると、UとVが来ていました。

「……(どうしたの?)」

小首を傾げてみせると、Uが返事をしました。

「今日は久しぶりに三人でお昼食べよかと思ったんや。
 話もあるしな」

空いている椅子を持ってきて、三人分の席を作りました。

「ホントに久しぶりね。
 U……あなた目の下に隈ができてる。
 睡眠不足なんじゃない?」

「もう嫌っちゅうほど勉強漬けや……。
 あんまりアホな学校にしか受からんかったら
 兄ぃに笑われそうやしな。
 …………?
 ○○、後ろの子、あんたに用があるんとちゃう?」

言われて振り返ると、hさんがもじもじしていました。

「なに?」

「あのあのあの……わたしもごいっしょしていいデスカ?」

わたしはUとVにちらりと視線を投げました。

「ここはアンタの席なんやから、アンタしだいや」

「Vは?」

Vがこくこくと首を縦に振ります。
人見知りするVは、hさんの登場に硬くなっているようでした。

「hさん、どうぞ」

椅子を勧めると、hさんはおっかなびっくり腰を下ろしました。

「○○にもこのクラスに友達ができたんやな」

「そうなんだー」

Vはどことなく寂しそうな、複雑な面持ちでした。
hさんがわたしの友達と言えるのかどうか、正直なところ微妙でした。
帰り道によくいっしょにはなりますが、
休み時間に親しくお喋りしていたわけではありませんでした。
それでもhさんの前で、友達じゃないとは言えません。

「よ、よろしくお願いしますデス」

ペコペコと頭を下げるhさんを見て、
わたしの周りに集まるのはどうしてこう変わった人ばかりなんだろう、
と内心ため息を吐きました。

「U、V、こちらがhさん。クラスメイトで最近親しくしてもらってる。
 hさん、こっちがUで、あっちがV、1年の時からのわたしの親友」

簡単に紹介を済ませて、食事を再開しました。
なんとも言えないぎこちない雰囲気でした。Vはきょろきょろと挙動不審で、
いつも元気なUも、hさんに気を遣っているのか言葉少なです。

肝心のhさんはもう見事なくらい上がってしまって、
食事中だというのにセミロングの髪をしきりにかきあげています。
わたしが口火を切らなければ、緊張が解けそうにありません。

「えっと……hさんといっしょにお昼を食べるのは、初めてね」

「そうやったんか?」

「あのあのあの……××さん、いつも本を読んでらっしゃいマス。
 お邪魔じゃないかナと……」

わたしは休み時間や昼休みに、ずっと本を読んで過ごしていたのです。

「あっ、ごめんなさい。気が付かなくて。
 それから、苗字で呼ばなくていいよ。呼び捨てにして」

「はい、○○さん」

だめだこりゃ、と思いました。

「そういえば、Uはなにか話があったんじゃなかった?」

「あ、うん……クリスマスにパーティーをしようかと思うてな。
 アンタの都合を聞きたかったんや」

UはVとhさんにちらちら視線を送りながら訊いてきました。
Vはどこか遠くに視線をさまよわせていました。
1年前のクリスマスに、VはXさんと婚約したのでした。
そのことを思い出しているのでしょう。
Vがクリスマスを楽しく過ごせるようにしないと、と思いました。

「お兄ちゃんはクリスマスにお仕事だって。
 だからわたしは空いてるよ」

「そうなんかぁ……そんなら三人でパーッとやろか」

Uは珍しく煮え切らない様子でした。
お兄ちゃんとgさんの別離と家出の話を伝えていたので、
わたしの心情を思いやっていたのでしょう。

わたしの横で、hさんがもじもじしました。
物欲しそうな目つきで、なにか訴えかけてきます。
なんとなく言いたいことが読めました。

「hさん、どうかした?」

「あのあの……その……わたしも、パーティーに参加するというのは……
 やっぱりだめデスカ?」

わたしとUとVが、視線を交換しました。
なんとも断りづらいのですが、hさんが加わるとなると、
Vが緊張してしまって、パーティーの趣旨が台無しになりそうです。

(続く)

●連載307(ここでの連載126)●
2003年7月18日(金)17時30分

すがるようなhさんの目を見ていると、口が重くなりました。

「あのね……今度のクリスマスは、わたしたち三人にとって、
 特別な日なの。
 できれば遠慮してもらえるとありがたいんだけど……」

言いながら、自分が幼子おさなごからおもちゃを取り上げていじめている
極悪人のように思えてきました。
hさんの表情が、見る見る暗くなっていきます。

「あはは……どうせ、わたしなんかが仲間に入りたいなんて、
 ずうずうしいデスネ……」

hさんは、泣きそうになるのをこらえているように見えました。
クリスマスに……hさんは独りぼっちなのでしょう。

「あっ!
 そのかわり、初詣にいっしょに行くというのはどう?」

悲しげに下を向いていたhさんが、顔を上げました。

「……いいんデスカ?」

「いいよね? U、V」

「もちろんや」

少し遅れてVも「いいんじゃないかなー」と答えました。
なんとかhさんのフォローができて、わたしはほっとしました。

「それから、自分のことを『わたしなんか』なんて
 言うもんじゃないと思う。
 自信を持たないと、上手くいくものもダメになってしまうでしょ?」

「えへへ……わたし、どんくさいし、勉強もできないし、
 見た目もブサイクだし、とりえなんか一つもないんデス。
 自信を持つなんて無理デスヨ」

とっさにhさんの長所を挙げようとして……言葉に詰まりました。
わたしはまだ、hさんの長所も短所もよく知らないのです。
けれど、ここまで言って引くわけにはいきません。

「そんなことない。
 このVだっていつも半分寝てるみたいなものだし、
 Uは勉強がちっっともできないし、
 わたしも美人じゃないけど、引け目を感じたりはしない。
 最初から自分がダメだ、って思っていたら、
 なんにもやる気が出ないじゃない?
 空元気でもいいから、自分はやればできるんだ、って思わなくちゃ。
 ホントに、自信を持てば、結果は後からついてくる」

「そう……デスカ?
 わたし、そんなふうに言ってもらったの、初めてデス。
 うれしいデス。うれしいデス」

「hさんのそういう素直なところが、わたしは素敵だと思う」

微笑みかけると、hさんの顔にはにかむような笑みが浮かびました。
わたしは上手くいった……と思って内心にやりとしました。

「……ちょっと待ち」

「え、なに? U」

振り向くと、Uが目をすがめて頬をぴくぴくさせています。

「アンタいま、どさくさに紛れてひどいこと言わへんかったか?
 仮にも親友であるわたしらに」

Vも、ひどいよー、と言いたげにむーっと唇を尖らせています。

「あっ、気のせいだよ、今のは、その、言葉の綾というか……
 あははは」

「わたしがアホやと思うて笑ってごまかす気やな?
 V、ちょっと押さえとき」

気が付くと、いつの間にかVが後ろに回っていました。
Uとアイコンタクトを交わして死角に回り込むとは、
おそるべき俊敏さです。

「あ、ちょっと、待って、なにをするの?」

「言わんでもええことをぺらぺらしゃべる友達甲斐のないヤツには、
 制裁を加えんとなぁ……沈黙の掟ちゅうやっちゃ」

「それ意味が違うぅ……きゃはははははははは……」

それじゃわたしの言ったことを自分で認めることになる……
と言おうとして、それ以上続けられませんでした。
Vに押さえつけられたわたしに、苛烈なくすぐり攻撃が襲来したのです。
脇腹は弱点なのに……。

「これぐらいで許したろか……」

情け容赦のない責めは、わたしがぴくぴく痙攣しはじめるまで続きました。
Uはこういう時、限度というものを知りません。
hさんはずっと、目をまん丸にして見ているだけでした。

「……はぁはぁはぁ……。
 hさん、ひどい……見てないで助けて」

わたしが恨みがましい視線を向けると、hさんは吹き出しました。

「ぷ、くくく……ごめ、ごめんなさいデス。
 ちょっと、○○さんのイメージが、変わってきたみたいデス」

初めてhさんが見せた、無防備な笑顔でした。

「ん? どういう意味かしら?
 でもhさん、やっぱり、そんなふうに笑ってた方が、可愛い」

「えっ、そんな、かわいいなんてうそデスヨ……」

hさんは顔を赤らめて、下を向いてしまいました。

「アンタなぁ……女同士で口説いてどないするんや。
 それも『お兄ちゃん』の真似か?」

Uが呆れ返ったような口調で突っ込んできました。

(続く)

●連載308(ここでの連載127)●
2003年7月19日(土)17時30分

UやVと話し合った結果、クリスマス会はUのマンションですることになりました。
Uとわたしが料理の支度をし、Vがケーキを持ってくるという分担です。
Vの家が一番広くて環境が整っていますが、
今度だけは三人水入らずでクリスマスを過ごしたかったのです。

Uのマンションに集まるのは、わたしが3年生になってからは久しぶりでした。
クリスマスイブの夕方、Uのマンションに行くと、インターホンにYさんが出ました。

「○○ちゃん? 久しぶりだね。上がって。Uがキッチンで待ってるよ」

「お久しぶりです。帰ってらしたんですね」

「本当に久しぶり。久しぶり過ぎてさっきもUに怒られたところだ」

にこやかに笑うYさんは、眼鏡が変わっていました。
リムレスの垢抜けたデザインです。
着ているセーターも白と黒のツートンカラーで、見違えるようにお洒落でした。

キッチンに行くと、もう下ごしらえは済んでいました。

「U、遅くなってごめん。用意がいいね。これみんなUが準備したの?」

「モチのロンや!
 ……て言いたいとこやけど、ホンマはお母ちゃんが手伝ってくれたんや」

「やっぱり」

「うわ、見透かしてたんか。イケズやな」

「お兄さん帰ってたんだ」

「さっき、いきなり帰ってきた……。
 帰ってくるんか?て訊いてもはっきりせんかったのに」

わたしはエプロンを借りて着けながら、さりげなく尋ねました。

「お兄さん、前より格好良くなってない?」

Uはそっぽを向いて、怒ったような拗ねたような声を出しました。

「……そうやな。
 夏休みに帰って来んかったワケがやっとわかったわ」

「夏休み?」

「車の免許取るちゅうて結局夏休みは帰ってこずじまいや。
 ちょくちょく帰ってくるてウソばっかしや。
 あっちに彼女ができてたんやな」

「本当に? 確かめたの?
 恋人が居るんだったら、クリスマスイブには一緒に過ごすんじゃないかな」

「二人っきりのクリスマスは一日早くすまして来たんやろ。
 あのセンスは兄ぃのもんやない。
 女がおるに決まってる」

「そうかな……」

タイミングの悪いことに、その時Yさんがやってきました。

「U〜〜? なんか食べるモンはないか? 腹減った」

「やらしいな! 入ってくんな!
 パーティーが済んで残り物があったら食わしたる」

「え〜〜?」

攻撃的なUに辟易したのか、Yさんが助けを求めるようにわたしを見ました。

「この量は三人じゃ多すぎるよ。お兄さんに分けても十分じゃない?
 せっかくのパーティーなんだし……」

Vが来たときに険悪だとパーティーが台無しになりそうで、はらはらしました。

「…………」

Uは頑なに、盛りつけをしているお皿から目を離そうとしません。
Yさんはあきらめ顔で、首をひねりひねり出て行きました。

「U?」

「わかってる。Vが来たらちゃんとするわ」

「ここはわたしのすることあんまり残ってないし、
 Vをお迎えに行ってきていい? Vのことだから大荷物だと思う」

「アンタが?」

「お兄さんを借りるね。車の運転できるんでしょ?」

「ええけど……」

居間に行くと、Yさんがベランダで所在なさげに煙草をふかしていました。

「お兄さん、いいですか?」

Yさんはわたしに気が付くと、すぐに煙草の火を消しました。

「あ、○○ちゃん、どうかした?」

「Vを迎えに行きたいんですけど、車を出していただけませんか?」

「いいけど……Uはなんて?」

Yさんはひそひそ声で訊いてきました。
Uを恐れている様子が可笑しくて、わたしは重々しく返事しました。

「安心してください。Uの許可は取ってあります」

ほっとしたようにため息を吐いて、Yさんはベランダから居間に戻りました。

「それじゃ、親父に車のキーを借りてくる。
 ○○ちゃんもいっしょに来るの?」

「はい、お兄さんとVを二人きりにすると、危険ですから」

「ええっ、そんなぁ……俺は変なことしないよ」

「冗談です。Vのお家に人にご挨拶しておきたいだけです」

マンションの駐車場で、わたしとYさんはセダンタイプの車に乗り込みました。

(続く)

●連載309(ここでの連載128)●
2003年7月20日(日)15時40分

進行方向を睨んで車を発進させながら、運転席のYさんが言いました。

「○○ちゃん、Uの様子がおかしいんだけど、なにか聞いてない?」

「おかしい? どういうふうにですか?」

「う〜ん、せっかく久しぶりに帰ってきたのに、おっそろしく怒りっぽいんだ。
 まともに口利いてくれないしさ。受験勉強でピリピリしてるのかな?」

「夏休みに帰ってくる……という約束を破ったからじゃないですか?」

「あ、そうなのか。参ったなあ……。早く免許を取りたかったからさ。
 教習所に通ってたんだ。ドライブにでも連れていこうと思ったのに……」

「お兄さん、そのセーター、センスいいですね」

「あ、そう? サークルの女の子に選んでもらったんだ。
 教習所で順番待ちしてたらそこでも偶然出会ってね。
 えらく口やかましいところはUに似てるかも……」

Yさんはなにやら思い出し笑いをしました。

「『そんな格好は許せない!』ってすごい剣幕でね。
 頼みもしないのに買い物に連れて行かれて、
 眼鏡や服を新調するハメになったんだ。お店の回し者かと思ったよ」

女性からの押しに弱いYさんらしい、と思いました。

「……その人と、お付き合いしてるんですか?」

「え、ええっ? そんなんじゃないよ。僕がそんなにモテるわけないって!」

「でも、お話を聞いてたら、その人はお兄さんに好意を抱いているような……」

「まさかぁ、あんな綺麗な子が僕に興味持つわけないよ。うん。
 ……おっと、道を間違えた」

Yさんはかなり動揺しているようでした。
ハンドルさばきもぎこちなくて、わたしは酔いそうになりました。

「クリスマスイブに会う約束とか……しなかったんですか?」

「あはははは。そんなの無理に決まってる。
 まぁ、昨日はサークルの集まりがあったから、みんなで遊んできたけどね。
 そうだ、前の集会の時に撮った写真があるんだけど、見る?
 彼女のいい表情が撮れてる」

見せたくて見せたくてしょうがないような口ぶりでした。

「……遠慮しておきます。Uより先に見せてもらったりしたら、
 後でUに恨まれそうですから」

わたしは顔をしかめて、こめかみを押さえました。

「あれ? 酔った? ごめんね、僕はまだ運転が下手だから……」

お兄ちゃんといいYさんといい、どうして男の人はこんなにニブいんだろう……
と思うと、本当に頭が痛くなりそうでした。

到着すると、Vの用意はもうすっかりできているようでした。
わたしの目から見るとかなり装飾過剰な、ドレスのような服を着ています。
……並んで歩いて恥ずかしくないぎりぎりの線でした。

手には、たぶんケーキの入っている大きな箱を抱えています。
と、それだけならよかったのですが、肩から巨大なバッグを提げています。
人間が一人、そのまま入りそうなサイズの……。

「V……? そのバッグにはなにが入っているの?」

「うふふー、ひーみーつー」

たぶん、いいえ、きっととんでもないものだろうな、とは想像できましたが、
今日はVの好きにさせておこう、と思いました。

Yさんが鞄を取り上げて、車の助手席に置きました。
ケーキの箱は、そのままVが膝に載せていくのがベストでした。

マンションに戻ると、パーティーの準備は万端整っていました。
ジュースにお菓子、料理がテーブルに並べられ、
クリスマスツリーのほかに、居間は色紙で飾り付けてありました。

一応Yさんの分の料理もお盆に取り分けてありましたが、
居間は「男子禁制」ということで、Yさんは早々に追い出されました。

「U……お兄さん、ちょっと可哀相じゃない?」

「ええの! 今夜はわたしら三人の特別なパーティーなんやから。
 ……ひょっとしたら、これが三人で集まる最後のクリスマスになるかもしれへん。
 パーッと楽しもか」

女主人ホステス役のUが、パーティーの開始を宣言しました。

「Uちゃん、ありがとうー」

「今日のことは、きっと思い出になるね」

この3年間、何度この三人で集まったことでしょう。
他愛もないお喋りを重ねた、数えきれないほどの、ささやかな思い出たち。
それらは少なくともわたしにとって、様々な苦しみに満ちた中学生時代の中で、
夜空にばらまいた星々のようにきらきら光る、最良の部分でした。

「まずはプレゼント交換から始めよか」

わたしは綺麗なカバーを付けた本を、Uは手作りのアクセサリーを出しました。
Vは……不敵に「ふふふー」と笑って、巨大な鞄を引き寄せ……
巨大なぬいぐるみを二つ取り出しました。

「なんやそれは……」

「見てわかるでしょー? イルカさんと、ワニさんだよー」

「こんなに大きな……もの凄く高そうなんだけど、いいの?」

「イルカさんとワニさんは、わたしの一番のお気に入りなんだよー。
 いつも抱いて寝てたんだー。
 わたしの形見だと思って、もらってほしいなー」

パーティーの開始早々、縁起でもないことを言い出すVでした。

(続く)

●連載310(ここでの連載129)●
2003年7月21日(月)20時10分

「うふふ……V、ありがとう、大切にする」

「ちょっとV、なんでわたしにはワニやのん」

「えー? ワニさんかわいいよー?」

「そやかて、爬虫類やんか」

「ぬいぐるみと本物はちがうよー」

わたしやVが巨大なぬいぐるみを抱いて寝るところを想像すると、
自然に笑いがこみ上げてきました。

三人だけのパーティーは、笑いが絶えません。
けれど、三人が出逢ってからの思い出を話しはじめると、
しんみりしてきました。

こうして三人で集まって心おきなく騒げるのは、あと何回あるだろう?
そう思うと、笑いながら胸をかすかな痛みがよぎります。

窓の外を見たVが言いました。

「もう外は真っ暗だねー」

「遅くなったら泊まっていったらええやん。どうせそのつもりやろ?」

「うん、パジャマも持ってきたよー」

「暖房が効きすぎてちょっと暑いぐらい。
 ベランダで星でも見ない?」

「外は寒いんちゃうか?」

「二人ともお酒飲んでないのに酔っ払ってるみたい。
 少し頭を冷やした方がいいんじゃない?」

「そうやな」

靴下のまま、ガラス戸を開けてベランダに出ました。
冷たい空気が、ぴりぴりと頬を突っ張らせます。
見上げると、薄曇りの空に星がまたたいていました。

ふと横を見ると、Vの横顔が目に入りました。
じっと夜空を見上げるVの面立ちは、どきりとするほど大人びていました。

1年前の今日のことを思い出しているのだろうか、と思いました。
甘い甘い婚約の思い出が、今となってはVの心をさいなむのでしょう。

わたしの1年前は……お兄ちゃんとの一夜でした。
大きく息を吸い込むと、冷気が肺の内側を無数の針のように刺しました。
ベランダの手すりに腕をもたせかけて、頭を乗せました。
どんなに痛みが伴ったとしても、思い出は失いたくありません。

「あんまし外におると体が冷えるで」

言葉もなく立っているVとわたしに、Uが声をかけてきました。
その声の柔らかさに、思わず泣きだしそうになりました。
この二人が居なかったら、わたしはどうなっていたでしょう?

「ありがとう、U」

部屋の中に戻ろうと背を向けたUとVの首に、腕を回しました。
Uがびくっと身をすくめます。
敏感すぎるのか、Uはスキンシップが苦手でした。

二人の頭を抱き寄せて、祈るように言いました。

「二人とも、ありがとう……本当に、感謝してる」

Vがぎゅっと抱き返してきました。

「なんやもう……いきなりびっくりしたで」

Uも身を離そうとはしませんでした。

「いつまでも、わたしの友達でいてくれる?」

「当たり前やん。お婆ちゃんになっても遊ぼうな」

Vは声もなくうぐうぐと泣いていました。

「なに泣いてるんや……。
 一番大きいくせしてみっともないで」

「わたし、わたし……」

感極まったのか、Vはうまく言葉を口にできないようでした。

「なにも言わなくていい。わかってるから。
 きっと、わたしも同じ気持ちだよ」

胸の痛みはまだ、消えていません。
けれど、冬の日射しに照らされた湖面のように、心はあたたかく澄んでいました。

お兄ちゃんと離ればなれになっていても、
心の底から憎んでいる父親と暮らしていても、
こんなに静かな気持ちでいられることが、奇跡のように思えました。

三人で輪になって座り直して、湧きこぼれるような笑みを交わしました。
これが魔法のように消えてしまうひとときに過ぎないとしても、
思い出は時を経てなお宝石のように輝き続けるに違いない、と確信しながら。

ポケットに入れておいたベルが、震えました。
取り出すとメッセージが1行。

「メリークリスマス」

たった一言に思いが籠もっているようでした。
わたしは二人にメッセージを見せて、Uに電話を借りました。
お兄ちゃんのベルに同じ言葉を、万感の思いを乗せて送りました。

夜遅くなって、居間に三人分の布団を敷きました。
結局くっついて寝ることになったので、布団は一組でよかったかもしれません。

「林間学校を思い出さへんか?」

「あの時はどきどきしたねー」

「いつかまた、三人で行けたらいいね」

臨海学校や修学旅行に行けなかったわたしにとって、
林間学校が唯一の三人揃った旅行でした。

(続く)


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