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お兄ちゃんとの大切な想い出 連載231〜240

「お兄ちゃんとの大切な想い出」に掲載した連載231〜240(ここでの連載050〜059)を抽出したものです。番外編もあります。(管理人:お兄ちゃん子)

221〜230
231232233234235
236237238239240
241〜250

●連載231(ここでの連載050)●
2002年2月14日(木)21時10分

お兄ちゃんの膝でくつろぎながら、穏やかに午後が過ぎていきました。
年末のどうでも良いテレビ番組は、さっぱり頭に入りませんでしたけど、
身を寄せ合っているだけで、わたしは満たされました。

「お兄ちゃん、足痺れない?」

「お前、軽いからな」

「今度はわたしが膝枕しようか?」

お兄ちゃんは、体を震わせて笑いました。

「膝枕してくれる猫なんて聞いたことないぞ」

「猫の恩返し」

わたしが膝を揃えてソファーに座ると、お兄ちゃんが頭を乗せてきました。

「んー……ふかふかで気持ちいいな」

お兄ちゃんは頬ずりして、パジャマの生地の感触を確かめました。

「お兄ちゃん、くすぐったいよ。
 あんまり肉がないから、気持ちよくないんじゃない?」

わたしは痩せているので、両膝を合わせてもあいだに隙間ができてしまいます。

「いや。膝のあいだに頭が入ってちょうどいい」

お兄ちゃんの顔がよく見えないので、わたしは覗き込みました。

「お兄ちゃん、耳が汚れてるよ。耳掃除してる?」

「んー? 自分でたまに」

「わたしが耳掃除してあげる。あ、でもその前に、お風呂に入らなくちゃ」

お風呂、と言ったとたんに、お兄ちゃんが膝の上で固まりました。
まずい、と思って、心臓がドキドキ高鳴り始めたのを悟られないように、
努めてなんでもない風を装って続けました。

「お湯に浸かって耳垢をふやかさなくちゃ。
 わたしは、背中こすってくれるだけで良いから」

「……ん」

お湯を溜めて、風呂場に入ると、自然と2人とも無言になりました。
白いお湯に肩まで浸かって、お兄ちゃんを見ると、
表情の読めない顔つきで、視線を逸らしています。

「先にわたしが洗うね」

わたしは洗い場に座って、泡立てたスポンジで肩からこすりはじめました。
緊張のせいか、お湯に浸かっていたのに肩がこちこちでした。

「……○○」

「なに?」

「昨日のことだけど……」

口ごもるお兄ちゃんに、わたしはすかさず問い返しました。

「昨日、なにかあった?」

「…………」

「……背中、流して」

わたしが肩の震えを抑えながら、息をひそめて待っていると、
お兄ちゃんは湯船を出て、わたしの背中を丁寧にこすりはじめました。
無言のまま、なにかの儀式を執り行っているみたいに。

わたしはお兄ちゃんに気づかれないように、
両腕で胸を抱えて、ゆっくりゆっくり長い息を吐きました。

無言でスポンジを渡され、今度はわたしがお兄ちゃんの背中をこすりました。
お互い暗黙のうちに、事務的な作業のように振る舞っていました。

先にわたしがお風呂から上がって、猫さんパジャマを身に着けました。
リビングで待っていると、お兄ちゃんがスエットを着て現れました。

「来て」

自分の膝をぽんぽん叩いて、お兄ちゃんを頭を乗せました。
救急箱から取ってきた綿棒の先を、お兄ちゃんの耳の穴に近づけました。

「動かないでね」

息を詰めて手探りで奥まで差し込み、綿棒の側面でこすりました。
手応えがあったので、そこをゆっくりこそげ取ると……。

「お兄ちゃん、すごい大きい耳垢が取れた」

「え? ホントか?」

わたしは広げたティッシュに、米粒大の耳垢を落としました。

「ほら。まだ取れそう」

「うわー……汚いな……」

「わたしが綺麗にしてあげる」

汚いとは感じませんでした。
むしろ、大量に収穫できたほうが、やりがいがあります。

両方の耳を綺麗にすると、今度はわたしの番でした。
お兄ちゃんの膝に頭を乗せて待っていると、頭を手で固定され、
いきなり耳になにか入ってきました。

わたしは思わず、びくりと身じろぎしました。

「動くなよ。危ない」

「……びっくりした」

「悪い悪い」

お兄ちゃんの指は、無雑作なようでいて、確実でした。
わたしが首をすくめる寸前まで、力を込めています。
むずがゆいような、痛いような感覚に、背筋がぞくぞくしました。

(続く)

●連載232(ここでの連載051)●
2002年2月16日(土)20時50分

「んー……あんまり取れないな。お前の耳垢は粉っぽいみたいだ」

差し出された綿棒の先には、粉のような耳垢が少し付いているだけでした。
わたしはそれを見て、あまり汚れていなくてよかった、と思う反面、
収穫の少なさに失望しました。

それからの数日は、なにをする訳でもなく、ただごろごろしていました。
お兄ちゃんが友達に会いに行っているあいだに家事を済ませて、
お兄ちゃんが家に居る時は、なるべくそばに寄りました。

お風呂に入って、その後でマッサージをしてもらうのが日課になりました。
まだ気恥ずかしさは残っていましたけど、日課になってしまうと、
いっしょにお風呂に入るのも、気後れしなくなってきました。

数日経ったある午後、膝枕してもらいながら、お兄ちゃんに言いました。

「お正月はVの家にお呼ばれしてるんだけど、お兄ちゃんも来てくれる?
 きっと歓迎してくれると思うよ」

「う……それがなぁ……」

お兄ちゃんは宿題を忘れた子供みたいに、顔をしかめました。

「どうしたの? Vが苦手?」

「ん……そういうわけじゃないんだが……
 お正月は田舎に帰らないといけないんだ」

「え? ……じゃ、初詣も?」

「初詣はこっちで済ましてくけど……あっちでも初詣行く約束してて……」

ピンと来ました。

「……それ、家庭教師してた子との約束?」

「ん……まぁな。クリスマスがあんなコトになっちゃったしな……。
 せめて初詣ぐらいは、って……」

お兄ちゃんが顔を撫でようとしてきたので、
誤魔化されているような気がして、わたしは顔を背けました。

「…………」

「仕方なかったんだよ……
 それぐらい約束しないと家に帰らないっていうから……」

「…………」

「なぁ」

「もし、わたしが家出する、って言ったら……」

「なに?」

お兄ちゃんは、わたしの髪を撫でていた手を止めました。

「お兄ちゃん、なんでも言うこと聞いてくれる?」

息の詰まる沈黙が、しばらく続きました。

「…………お前の言うことなら、なんでも聞いてやりたいよ。
 俺にできることならな。なにか、望みがあるのか?」

心臓がどくどく脈打って、顔までいっしょに律動するのがわかりました。
いま、お兄ちゃんに顔を見られていなくて良かった、と思いました。

舌を縛られたみたいに、言葉を口にするのにひどく苦労しました。

「わたし……わたしは……こうしていられれば、それで良い」

思わず、大きく息を吐いてしまいました。

「……そうか。欲がないんだな」

お兄ちゃんも、ホッとしたような息を吐きました。

「今日は遊びに行くか?」

お兄ちゃんは、話を逸らそうとしていたのかもしれません。
でも、わたしもこれ以上、家庭教師の子の話題を続けたくはありませんでした。

「いっしょに?」

「もちろん」

わたしは暖かいフード付きのコートに着替えて、お兄ちゃんと外に出ました。
すると、近所のおばさんが、お兄ちゃんに声を掛けました。

「あら、△△君こっち帰ってたの? 久しぶりじゃない?」

「ご無沙汰してます」

しばらくのあいだ、お兄ちゃんはおばさんと親しげに世間話をしました。
わたしでも会釈ぐらいしかしたことのないおばさんと、
お兄ちゃんはいつの間に仲良くなったんだろう、と不思議でした。

風邪が冷たいので、駅前までバスで出ました。
駅前のアーケードは、年末らしく人混みで賑わっていました。

お兄ちゃんが、ゲームセンターの前で立ち止まりました。

「○○、お前、ゲームする?」

「Vの家でなら、やったことあるけど」

「こういうトコには来ないのか?」

ゲームセンターの外まで、騒がしい音楽が鳴り響いていました。
中にたむろしている人影が、得体の知れない怪しげな人たちに見えました。

「うん、騒がしいのはちょっと……」

「社会見学だと思って、1回ぐらいはいいだろ」

わたしはお兄ちゃんにうながされて、初めてゲームセンターに入りました。

「どれからする?」

中は音がうるさくて、話をするには顔を寄せ合わなくてはいけませんでした。

「どれが面白いの?」

「俺はカーレースゲームをよくやる」

わたしはお兄ちゃんと並んで、
車のハンドルの付いたコックピットのような椅子に座りました。
レースが始まっても、わたしの選んだ車は動きません。

「アクセルを踏むんだ」

「どっちがアクセルなの?」

脱輪ばかりで、1周するのにずいぶん時間がかかりました。
どうやら、手と足を同時に動かさなくてはいけないゲームは、
わたしには向いていないようでした。

(続く)

●連載233(ここでの連載052)●
2002年2月17日(日)21時20分

「うーん……まぁ最初はこんなもんだろ」

「お兄ちゃん」

「ん?」

わたしは唇をお兄ちゃんの耳にくっつくほど近づけて、尋ねました。

「もっと……体の動きが単純なのは、ない?
 わたし、左右の手を別々に動かしたり、
 足と手を同時に動かすのは、どうも苦手みたい……」

「んー……単純ていうと……UFOキャッチャーかシューティングか?」

画面の奥から飛び出してくる悪漢を、コードの付いたピストルで、
バンバン撃ち倒していくシューティングゲームに挑戦してみました。

「見てろよ」

横で見ていると、お兄ちゃんは片手で無雑作にピストルを持ち上げ、
画面に悪漢が出てくるのと同時に撃ち倒していきました。

「パターンがあるからな。慣れると次に出てくる場所が読めるんだ。
 よく見て覚えておけよ?」

「うん」

お兄ちゃんがゲームオーバーになるまでは、かなり時間がかかりました。
今度はわたしの番です。

「お前は片手じゃ安定しないから、左手を添えて。
 足をもっと開いて腰を落とすんだ」

お兄ちゃんは握り方や立ち方を、手を添えて教えてくれました。

「うん」

さっき見ていて、ある程度まで悪漢の出現パターンを覚えていたので、
わたしでもかなり先の場面まで進むことができました。

終わって振り向くと、横で腕組みして眺めていたお兄ちゃんが、
満足げににやにやしました。

「最初にしてはやるじゃん。
 お前はこういうゲームに向いてるのかな? 目つきが違う。
 今度は2人でやるか?」

お兄ちゃんはわたしの右側に立って、左手にピストルを握りました。
お兄ちゃんは元々左利きで、左右どちらの手でも自由に使えます。

「お前は画面の左側を頼む」

「うん」

そう言いながらも、実際にはお兄ちゃんが画面の大半をカバーしました。
わたしが狙いを外しても、お兄ちゃんはもう右側の敵を片付けていて、
わたしが逃した敵を始末する余裕がありました。
反射神経がわたしとは段違いでした。

お兄ちゃんとのペアだと、1人でしていたときより先に進めました。
でもそのせいで、ピストルを振り回す両腕がだるくなってきました。

ピストルを水平に持ち上げているのが、だんだん辛くなりました。
人差し指も痺れてきて、左手の指で引き金を絞らなくてはいけませんでした。

終わり近くになって、結局クリアーできなかったのは、
わたしがほとんど撃てなくなっていたからでしょう。

お兄ちゃんは、ピストルをホルダーに戻して言いました。

「まぁ、なかなかいいトコまで行ったな。
 もっと練習すれば1人でかなり先まで進めるんじゃないか?」

「……もっと腕力と握力をつけないと、終わりまで持たないみたい。
 もう指に力がぜんぜん入らない」

「他のゲームもちょっと見てくか?」

「買い物もしなくちゃ」

後でこっそり1人で来て、練習しよう、と内心思いました。

その後、大勢の人で賑わうデパートで、お正月の買い物をしました。
と言っても、しめ飾りとお餅とお菓子と蛍光管ぐらいのものです。
おせち料理はどうせVの家で食べられるので、作らないことになりました。

わたしはそれまで、おせち料理というものを食べた記憶がなかったので、
お兄ちゃんの手作りおせちを、一度食べてみたかったのですけど……。

自宅に戻って買ってきた物を片付けてから、大掃除をすることになりました。
ふだんから掃除はしていましたが、背の届かない高いところに、
かなり埃が溜まっているようでした。

蛍光灯の交換も、背の高いお兄ちゃんの仕事です。

「順番に蛍光灯替えるから、古いの受け取って新しいの手渡してくれ」

「うん」

わたしは椅子の上に立ったお兄ちゃんの後ろで待機しました。
目の前に、お兄ちゃんのお尻があります。

プリプリしたお尻を見ていると、自分の薄いお尻と比べて、
なんて格好良いんだろう……とうっとりしてしまいました。

「○○? ほら。なに見てるんだ?」

古い蛍光管を手にしたお兄ちゃんが振り向いて、
わたしがお尻を見つめていたのがバレてしまいました。

「う? うん、なんでもない……」

黒ずんだ古い蛍光管を受け取って、新品を手渡しました。
わたしはうろたえて真っ赤になり、お兄ちゃんの顔を見られませんでした。
わたしは内心で自分に、バカバカバカ、と毒づきました。

(続く)

●連載234(ここでの連載053)●
2002年2月18日(月)22時25分

「なにやってるんだ? お前」

お兄ちゃんは訳がわからないようで、心底不思議そうでした。

「ホ、ホントになんでもないから……」

舌がもつれて、わたしはうつむいたままもごもごと言い訳しました。

夜になり、一日かけた大掃除が終わって、お兄ちゃんが呟きました。

「家の中がさっぱりしたな」

「うん、なんだか家の中が明るくなったみたい」

お兄ちゃんは、ハハハと声をあげて笑いました。

「そりゃ気のせいじゃないぞ。蛍光灯が新品だ。
 その代わり俺たちが埃っぽくなったけどな」

「お風呂入る?」

「そうだな。俺たちもさっぱりするか」

毎回いっしょにお風呂に入る習慣ができて、
まだ気恥ずかしさや緊張は残っていましたけど、
それでもお互いのぎこちなさは、だいぶ減ってきていました。

湯船に肩まで浸かると、強張りがほぐれるようでホッとしました。

「○○、大晦日の夜は起きていられるか?」

「……どうして?」

「除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦食べて、
 それからお参りに行こう。神社は近くのとこでいいだろ?」

「わたしは近くのほうが良いけど、
 UやVもいっしょになると思うから、訊いてみないと」

わざわざ電車で遠くの有名な神社に行って、人混みに揉まれるのは嫌でした。

「Uちゃんたちが来るんなら、蕎麦だけ買い足しとかないといけないな。
 お前は大晦日の昼はのんびり寝てるといい」

「最近わたし、ごろごろしてばっかりだよ」

「少し太ったか?」

「計ってないからわからない。増えてたら良いな」

脇腹を自分で掴んでみましたが、脂肪が付いているようには思えませんでした。

「女の子はふつう体重が減るのを喜ぶもんだけどなぁ」

わたしは洗い場に上がって、お兄ちゃんに背を向けて尋ねました。

「やっぱりわたし、痩せすぎ?」

お兄ちゃんがわたしの肩や背中を撫でながら、言いました。

「……そうだな、もうちょっと肉を付けたほうがいいかな。
 でもこういうのは体質もある。親戚で太ってる人見たことないだろ?
 背が伸びれば体重も増えるさ。あんまり気にすんな」

「うん……」

お兄ちゃんがゆっくり背中をこすりだすと、
わたしは口をつぐんで、漏れそうになる吐息を殺さなくてはいけませんでした。

お風呂場ではあやしい雰囲気にならないように、事務的に振る舞い、
体の前は自分で洗うのが、暗黙のルールになっていました。

お風呂から先に上がって、わたしはUに電話をかけました。

「もしもし、U、元気?」

「アンタこそ元気してるか〜?
 休み入ってからずーっと遊んでくれへんなぁ。
 兄ちゃんにべったりしてるんとちゃうか?」

「当たってる。すっかりUのこと忘れてた」

「……!」

「うそうそ。Uが意地悪言うから。お兄さんもお元気?」

「ヒマもてあましてるわ。それでなんやのん?」

「大晦日の深夜、Vも誘って近所の神社に初詣に行かない?
 お兄ちゃん、年越し蕎麦作るって言ってた」

「そやなぁ……兄ぃとアンタの兄ちゃんがおったら夜中でも安心やな。
 Vにはうちから電話しといたる」

「ありがとう。家に来る時間が決まったら連絡して」

受話器をおいて、熱いお茶を淹れました。
やがて湯上がりのお兄ちゃんが、ダイニングに入ってきました。

「はいお茶」

「さんきゅ」

「Uに電話してみた。Vといっしょに、大晦日の夜遅くに来るみたい」

わたしはさっきの電話の内容を、お兄ちゃんに話しました。

「そうか……またうるさいぐらい賑やかになるな。良い友達だ」

「うん」

UやVの顔を見なくなってまだ1週間も経っていないのに、
2人の顔を思い浮かべると、懐かしく思えました。

大晦日にわたしが昼寝しているあいだに、お兄ちゃんは買い出しに行きました。
混雑するけど、その代わり安く買えるそうです。

夜になって、紅白歌合戦も見ずにのんびりしていると、
玄関でチャイムが鳴りました。

「いらっしゃい」

そう声をかけながらドアを開けると、UとVは2人とも晴れ着姿でした。
その後ろには、YさんとXさんも立っていました。

(続く)

●連載235(ここでの連載054)●
2002年2月20日(水)22時00分

Uも綺麗でしたけど、髪を結い上げたVの華麗さには、目を奪われました。

「…………」

「あけましておめでとー!」

「Vちゃん、それはまだちょっと早いと思うよ」

Xさんが、さり気なくフォローしました。

「こんばんは。寒いでしょう? 上がってお蕎麦食べて」

みんなをダイニングに案内して座らせると、お兄ちゃんは手回しよく、
もう台所でお蕎麦を茹でていました。

「綺麗な着物……汚さないようにね?」

Vの振り袖は、見れば見るほど豪華で派手でした。

「そおー? うふふー、大パパがすっごく喜んでくれたよー」

「また、お爺ちゃんのプレゼント?」

「そうだよー」

「やっぱり……ところでU、今日は静かね? どうかしたの?」

いつも元気なUが、さっきからどういうわけか口を利いていません。
はにかんでいるようで、別人のように可愛く見えました。

「ちょっとな……帯が苦しゅうてな。
 わたしはこんなんいらんちゅうてんのに、
 お母ちゃんが着ろ着ろいうてうるさいねん。ホンマかなんわ」

「今のほうが断然、可愛く見えるよ?」

YさんがUの横で、うんうんとうなずきました。

「……どういう意味やねん!
 せやけどこの家は静かやなぁ……アンタはテレビ見ぃへんかったか。
 音楽ぐらい流したらどないや」

「いまはお兄ちゃんが居るから、寂しくない。
 お兄ちゃんが居ないときは、たいてい本読んでるし。
 本を読みながらだと、音楽を聴いても耳に入らないから」

Uはなんとも言えない顔をして、それ以上話を続けませんでした。
年越し蕎麦を食べてから、6人で神社に向けて出発しました。

外に出てみると、わたしは厚着で着ぶくれていましたけど、
それでも顔が冷気でこわばりました。

「UもVも、寒くないの?」

「今日は車やからな。Vのお父ちゃんが送り迎えしてくれるねん。
 草履じゃそんなに歩かれへんしな」

「え?」

Uの視線を追うと、家の前の道に、大きなワゴン車が停まっていました。
運転席にいるのは、見覚えのあるVのお父さんでした。

「こんばんは」

「こんばんは、○○ちゃん、もっと遊びに来てください。Vが喜びます」

「こんばんは、はじめまして。○○の兄の△△です。
 いつも妹がお世話になっています」

お兄ちゃんが頭を下げて、Vのお父さんに礼儀正しく挨拶しました。

「どういたしまして。
 ○○ちゃんやそのお兄さんなら、家はいつでも歓迎します」

Vのお父さんは、笑顔でそう答えました。

ワゴン車の後ろの座席に乗り込むと、もっぱらVがはしゃいでいました。
Uは帯が苦しいのか、それともVのお父さんに遠慮しているのか、
言葉少なでした。

わたしはふだんから無口でしたけど、人見知りしないはずのお兄ちゃんも、
車の中ではずっと黙っていました。

わたしはお兄ちゃんの耳許に顔を寄せて、囁きました。

「お兄ちゃん?」

「ん?」

お兄ちゃんも小声で答えました。

「どうかした? 元気ないね」

「別にそんなことないけどな……お前は、振り袖着たいとか思わないか?」

「振り袖? わたし、自分じゃ着られない。
 それに和服はすごく高いよ。めったに着ないのに、勿体ない」

「そっか……しっかりしてるな、お前」

お兄ちゃんは苦笑いしました。

「お兄ちゃんは、振り袖を見たいの?」

「別に。お前が興味ないんだったら、どうでもいいさ。
 ただ、Vちゃんが嬉しそうだったからな」

「お爺ちゃんがプレゼントしてくれたからじゃない?」

「あのお父さんも、優しそうだな……」

「うん」

お兄ちゃんの声が、とても寂しそうでした。
横顔を見ると、ふだんとは違う、遠い目をしていました。

わたしはお兄ちゃんが急に遠ざかっていくような、
不思議な恐怖に襲われて、座席の下でお兄ちゃんの手のひらを握りました。

(続く)

●連載236(ここでの連載055)●
2002年2月21日(木)20時25分

手のひらを強く握りしめると、お兄ちゃんの顔にハッと表情が戻りました。

「……お兄ちゃん、寝惚けてる?」

「ん、ああ……すまんすまん」

お兄ちゃんが振り向いて、にこっと笑いました。いつもの笑顔でした。
わたしはホッとしましたが、なかなか動悸が収まりませんでした。

目的地に着いて外に出ると、小さな神社なのに、それなりの人出でした。
近所の人たちが集まっているのか、挨拶を交わす様子が見られました。

「おにーちゃん、たすけてー」

慣れない草履だと歩きにくいのか、Vが大げさにふらついて、
Xさんの腕に抱きつきました。Xさんは否応もなく、照れくさそうでした。

「U、掴まれ」

ちょこちょこ小股であるくUに、Yさんが手を差し出しました。
Uは一瞬Yさんの顔を見て、すぐに顔を伏せてその手を取りました。

「○○、俺たちも行くか」

お兄ちゃんのほうから、わたしの手のひらを握ってきました。

「うん」

6人が、2人ずつペアになって、神社の鳥居をくぐりました。
ふと、1年前にR君と出会った石柵が目に入りました。
わたしは思わず立ち止まってしまって、お兄ちゃんに引っ張られました。

「ん? どうした?」

お兄ちゃんが振り向いて、怪訝そうに訊きました。

「……なんでもない」

少し遅れて賽銭箱の前に着くと、UとYさんが柏手を打っていました。
肩を並べて、神妙に願い事をしているようです。

「○○、お前はなにをお願いするんだ?」

「……なんにも。わたし、神様は信じてないから」

お兄ちゃんが立ち止まりました。

「え? まぁ……俺も信じてるってわけじゃないけど、
 願い事しないんだったら、初詣に来てなにをするんだ?」

「習慣……かな。それとも雰囲気を楽しむため」

「お前、人混みは苦手だろ?」

「苦手だけど……たまにはその中に入っていかないと、
 どんどん人から遠ざかってしまうみたいな気がする、のかな?
 こういう、みんなおめでたい様子の人ばっかりなら、
 そんなに嫌じゃない。幸せそうな人が居るって、良いね」

「お前は……そういう人見て、寂しくないか?」

自分自身のことより、お兄ちゃんの口調のほうが寂しげに聞こえました。

「うーん……どうだろ? 幸せな人を見てると、胸が痛くなるけど、
 それはただ痛いだけ。幸せな人が居るってことは、わたしもいつか、
 そうなれるかもしれない、ってことでしょ?」

「ん……そうだな」

「お兄ちゃんは、行かないの?」

「俺もやめとく。お賽銭で願い事が叶うなんて、ホントは信じてないしな」

お兄ちゃんはわたしに付き合ってくれてるだけかもしれない、と思いました。
それでも、寒さが気にならないぐらい、胸が温かくなりました。

「もしかして……Vちゃんもお前と同じか?」

「え?」

お兄ちゃんに言われて辺りを見回すと、Vは賽銭箱には近寄りもしないで、
Xさんを引っ張ってうろうろ歩いています。

「VとXさんはわたしとは逆」

「逆?」

「2人ともクリスチャンだから、偶像崇拝はしないの。
 たぶん……Vはお祭りのつもりで来てるんじゃないかな。
 もっと大きな神社だったら、夜店が出てるんだけどね」

「あはははは」

わたしも釣られて、くっくっと笑いました。
2人でそうしていると、VとXさんがわたしたちを見つけました。

「あーこんなところにいたんだー。なにしてるのー?」

わたしとお兄ちゃんは、参拝客を避けるようにしているうちに、
境内の隅を囲った石柵のそばまで来ていました。

「Vの噂話」

「えー? ひどいよー。わたしのこと笑ってたんでしょー?」

「笑ったのは事実だけど、それはVがとっても幸せそうだ、って話」

わたしは、とびきり自然に微笑むことができました。

「ほんとにー?」

「それにしても、V、初詣に来るのを、よくお父さん許してくれたね」

Vの家は、3代続いたクリスチャンです。

「ほんとはねー。この振り袖を着て、外を歩いてみたかったのー。
 信じてるのはイエス様だけだよー?」

「ふふふ、そんなことだろうと思った」

わたしは笑いをこらえきれませんでした。
UとYさんも、わたしたちを見つけて歩み寄ってきました。

「あ、そうだ、ここで待ってて」

「どうしたのー?」

わたしはお兄ちゃんの手を引いて、早足で歩きだしました。

(続く)

●連載237(ここでの連載056)●
2002年2月24日(日)21時30分

「○○、どこ行くんだ?」

「こっち」

神社のすぐそばで近所の人たちが集まって、参拝客に甘酒を振る舞っていました。
手を火傷しないように2個重ねた紙コップに、熱い甘酒を注いでもらいました。
友達の分もということで、わたしが2個、お兄ちゃんが4個、左右の手に持ちました。

足許に注意しながら、そろりそろりとUたちが待っている方角に進みます。
近くまで行くと、Vが歓声を上げました。

「あーなにそれー?」

「甘酒。あったまるよ。着物にこぼさないでね」

銘々が1個ずつコップを持って、寒空の下で輪になりました。
Yさんが、コップを高く掲げました。

「乾杯!」

「乾杯?」

神社の雰囲気にそぐわない言葉を聞いて、わたしは思わず訊き返していました。
それで途切れかけた勢いを、お兄ちゃんがフォローしてくれました。

「乾杯に賛成。Xさん、音頭をとってください」

「え? ボクが? それじゃ……みんなの健康と幸せと、年の始めを祝して……」

「かんぱーい」

6人の声がハモりました。

熱い甘酒を飲むと、お腹の中からじんわり温まってきました。
わたしはぼんやりと、1年前のことをを思い出しました。
あのときわたしに甘酒をくれたR君は、今どこでどうしているのだろう、と。

「ん? ○○、どうかしたか?」

話に加わらず、ぼうっとしていたわたしに、お兄ちゃんが耳打ちしました。

「あ……なんでもない。去年も初詣で甘酒飲んだこと、思い出しただけ」

「そっか……。去年はお前、1人だったんだな。ごめん」

「R君とここで会ったから、2人」

「R君とは結局、友達にはなれなかったんだったな……」

「うん」

わたしからR君に話しかけることもなく、たまに学校の廊下で見かけたりしても、
お互いにちらりと見る程度になっていました。

どうして急に疎遠になったのか、R君をつかまえて、
その理由をわたしのほうから尋ねるべきだったのかもしれません。

でもわたしには、遠ざかって行く人を、引き留めるような価値が自分にあると、
思えなかったのです。

「でも、今年は大勢だ」

お兄ちゃんが、わたしの大好きな笑みを浮かべました。

「あったまるねー」

「ホンマに」

いつも通りはしゃいでいるVも、珍しく寡黙なUも、満足げでした。
わたしは、去年やおととしのお正月と比べて、今年はなんて幸せだろう、
と思いました。

「それじゃ……そろそろ帰りますか? 足許が冷えるといけないし」

お兄ちゃんが、みんなに声をかけました。みんなも賛成したので、
お兄ちゃんとわたしが先頭に立ち、2列になって歩き出しました。

お兄ちゃんは神社を出ると、また甘酒を配っている人だかりに歩いて行きました。

「お代わりするの?」

「いや、Vちゃんのお父さんに。運転手役で、留守番だっただろ?」

ワゴン車は、神社から少し離れた路上に停まっていました。
わたしたちが歩み寄っていくと、Vのお父さんは車をこちらに動かしてきました。
お兄ちゃんが運転席側の窓に近寄ると、窓ガラスがスライドしました。

お兄ちゃんがお父さんになにか言うと、お父さんは笑顔になりました。
みんなが車内に入って、シートベルトを締めていると、お父さんが振り返りました。

「いやー、男の子っていいね。娘も可愛いが、私は息子も欲しかったんだ。
 だれか息子になってくれないかな?」

Vのお父さんの爆弾発言に、お兄ちゃん、Yさん、Xさんの動きが一斉に止まりました。

「そうだねー。わたしもお兄ちゃんが欲しかったんだー」

とくにXさんは、Vに腕を抱きしめられて、笑顔が引きつっていました。

「なに反応してるんや!」

「痛いだろっ!」

YさんはUに太股をつねられたらしく、今年最初の兄妹喧嘩を始めました。
わたしが振り向くと、お兄ちゃんは、嬉しいような寂しいような、複雑な表情でした。

車のヒーターが効いてきて、暑いぐらいの暖かさに、わたしは眠くなってきました。
でも、うとうとし始める前に、わたしの家に着きました。

わたしとお兄ちゃんは車から降り、肩を並べてお礼を言って、
Vのお父さんの車を見送りました。

「眠いのか? なんだかふらふらしてるぞ?」

「うん、ちょっと」

「早く着替えて寝るか」

わたしは自室に戻って、重かったコートやセーターを脱いで、
ねこさんパジャマに着替えてから、お兄ちゃんの部屋に行きました。

「お兄ちゃん、入って良い?」

「ああ」

わたしが中に入ると、お兄ちゃんは笑顔になりました。

「そのパジャマ、気に入らないのかと思ってた。あれから着てなかっただろ?」

「毎日着ると、早く傷むから」

「パジャマは大事に着るもんじゃないだろ」

お兄ちゃんは苦笑した後、まじめくさった顔で付け加えました。

「あ、それからな。そのパジャマの時は、『な』を『にゃ』と発音するのがルールだ」

「ルール……そうにゃの?」

「そうそう」

言いながら、お兄ちゃんは爆笑しました。

(続く)

●連載238(ここでの連載057)●
2002年2月25日(日)22時25分

笑い転げるお兄ちゃんに、わたしは唇をへの字に結んで、
抗議の視線を向けました。

「むー……」

「すまん。まさかホントに言うとは思わなかったんだ。お前は素直だなぁ……」

両方の手のひらを合わせて拝むような格好をしながら、
お兄ちゃんはまだ、頬をひくひくさせています。

わたしがそのまま黙って立っていると、お兄ちゃんはわたしの肩を抱き寄せて、
頭を繰り返し撫でました。

「ホントにすまん。頼むから、そんな泣きそうな目をするな……。
 ちょっとからかってみたくなったんだよ。悪かった。
 ……ところで、なにしに来たんだ?」

わたしはしばらくのあいだ目蓋を閉じて、頭を撫でられていました。
何度か逡巡した後、口を開きました。

「今夜は、いっしょに寝て良い?」

「あ……ん……ああ、いいよ」

ああ、というお兄ちゃんの声が、どことなくため息のように聞こえました。
天井の灯りが消されると、ベッドサイドのランプに浮かぶお兄ちゃんは、
影絵じみて見えました。

ベッドに横になったお兄ちゃんの隣に、わたしは潜り込みました。
お兄ちゃんの腕枕に頭を乗せて、横からくっつくような体勢になりました。

心臓がどきどきしているのが、お兄ちゃんに伝わるんじゃないか、と不安でした。
でもそれと同時に、ホッとするような安堵の念も湧いてきました。
自分が落ち着いているのか、興奮しているのか、よくわからなくなっていました。

眠いのに目が冴えているような、止まっているのに急き立てられているような、
夢とうつつの狭間の、違う世界にいるような、奇妙な心持ちでした。

時間の流れの感覚が、曖昧でした。まだ少ししか経っていない気がする反面、
今にも夜明けが来てしまうのではないか、と恐れました。

お兄ちゃんはもう寝てしまったのか、一言も口を利きません。
わたしはお兄ちゃんに横からしっかり抱きついて、足を絡め、
お兄ちゃんの胸元の、寝間着のにおいを吸い込みました。

そうしてわたしが身を固くしていると、いきなりお兄ちゃんの指が、
わたしの首筋に触れました。

「どうした? 眠れないのか?」

囁くような声を聞きながら、こわばった首が揉みほぐされていきました。
気持ち良い、というより、熱い、という感覚でした。

わたしはうわごとのように、ただつぶやきました。

「お兄ちゃん……」

「なんだ?」

「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」

わたしは馬鹿になったみたいに、同じ言葉を繰り返しました。
自分でも訳のわからない切迫感に、衝き動かされていました。

お兄ちゃんはわたしの肩を持ち上げて、わたしの顔を自分の胸に乗せました。
お兄ちゃんの寝間着のボタンが、頬に当たりました。
そのかすかな痛みがなぜか心地よくて、わたしは頬をこすりつけました。

「だいじょうぶだ。だいじょうぶだ。泣くことない」

お兄ちゃんの手のひらに背中を撫でられながら、
わたしは自分でも理由のわからないまま、涙をこぼしていました。

眠りがいつ訪れたのか、気がつくとわたしは、布団のなかで丸くなっていました。
ハッ、として背筋を伸ばし、上体を起こしました。

「おはよう。早いんだな」

お兄ちゃんはまだ、そこに居ました。
ベッドの横にあぐらをかいて、頬杖をつき、こちらを見ていました。

「あ、あ、お兄ちゃん、おはよう」

「まだ、寝てていいんだぞ。疲れてるんだろ?」

「でも……お兄ちゃん、田舎に行っちゃうんでしょ?」

「ああ。お前が寝ているうちに出発しようかと思ったんだけどな。
 お別れぐらい言っておきたくて、起きるのを待ってたんだ。
 二度寝していいぞ。お腹がすいたら、
 朝ご飯、というよりもう昼ご飯だけど、用意はできてる」

そう言って、お兄ちゃんの腕が、わたしをベッドに押しつけました。

「それじゃ、○○、さよなら。体に気をつけてな」

「……お兄ちゃん、またね」

わたしはほとんど金縛り状態で、それだけ言うのがやっとでした。
お兄ちゃんの顔が、ゆっくり近づいてきました。

わたしは息を詰めて、目蓋を閉じました。
待っていると、思いがけず、ちゅっとキスされた感覚が額にありました。

わたしが目を開けると、お兄ちゃんはさっと立ち上がって、
背を向けて部屋を出て行きました。

わたしは自分の額を指で押さえたまま、しばらく動けませんでした。

(続く)

●連載239(ここでの連載058)●
2002年2月26日(火)22時25分

わたしはご飯も食べずに、そのまま二度寝することにしました。
お兄ちゃんの枕からは、かすかに残り香がしました。

年の初めから、こうして自堕落に夕方まで寝ていると、電話の音で起こされました。
わたしは腫れた目蓋をこすりながら、階段を下りました。

「……もしもし……」

「おめでとー!」

こういう時に聞くにはテンションの高過ぎる、Vの声でした。

「え?」

「○○ちゃん寝ぼけてるー? お正月の挨拶だよー?」

「……年始の挨拶なら、神社でしなかったっけ?」

「挨拶だから何回言ってもいいんだよー」

「そう?…………あけましておめでとう」

「まだ来ないのー? みんな待ってるよー」

「……ちょっと……待ってて……お風呂に入って、目を覚ましてから」

実際に寝惚けていたのでしょう。
電話を切って、給湯器のスイッチを入れて、浴槽にお湯が溜まるまで、
その場でじっと待っていました。

肩までお湯に浸かってやっと、鈍っていた思考が回転を始めました。
そう言えば……お正月にはVの家に遊びに行く、と約束してしていました。

特に感慨もなく、じゃあ、行かなきゃ、と思いました。
お湯に浸かっただけで、シャンプーもしないで上がりました。

脱衣所に出て、着替えを用意していなかったことに気づきました。
汚れた下着をもう一度身に着ける気にならなくて、
そのまま自分の部屋に向かいました。

コートで着ぶくれしたわたしがVの家に着くと、UもYさんもXさんも揃っていました。

「こんにちは。お兄さんは?」

家の人でもないのに玄関に出迎えに来たYさんが、
きょろきょろと視線をわたしの背後に動かしました。

「あけましておめでとうございます。お兄ちゃんは……田舎に帰りました」

「あ、そうなの? いっしょかと思ってた」

二間通しの和室に通されて、立派なちゃぶ台を大勢で囲みました。
ちゃぶ台には、おせち料理が並んでいました。

「召し上がれ」

Vのお母さんに勧められて、見慣れない料理に箸を伸ばしました。
しっぽが生えた小芋(クワイ)をしっぽごと食べてしまいました。

「茎は食べないほうがいいわ」

Vのお母さんが、嘲笑でない笑みを浮かべて、小声で教えてくれました。
わたしはそれまで、おせち料理を食べたことがなかったのです。

わたしは真っ赤になって周りを見回しました。
幸い、ほかにはだれも見ていなかったようでした。

栗きんとんを食べながら、Uが感慨深げに言いました。

「早いもんやなぁ。2人が3人になって、もう9ヶ月になるんやなぁ」

「ずーっと前から3人だったみたいな気がするー」

「……うん、そうだね。とても不思議。」

「あっという間やったけどなぁ……
 小学生の頃より時間経つんが早なった気せぇへんか?」

「でも、昔を振り返るなんて、おばさんみたい」

「なんやて!」

「ごめん。これが大人になった、ってコトかな?」

黙って聞いていたYさんが、口を挟みました。

「俺もやっぱり、中学の頃はUみたいに思ったよ。
 今になって思うと、その頃が一番青春だったような気がするなぁ……。
 悔いのないように、今を精一杯生きて欲しいな」

「オジンくさ〜。そういうコト言うんはオジンやで」

「あはははー。校長先生みたいー」

「くっ…………」

Yさんは悔しそうに目を潤ませて、沈黙しました。
わたしは黙ってそんなやりとりを見ていて、ああ、こういうのも悪くない、
と目を細めました。

胸にはまた、ぽっかりと大きな穴があいていましたけど、
1年前のように、ただぼんやりとしているのは、UやVが許してくれません。

わたしはVのお母さんに、食材や料理の名前をこっそり訊きながら、
手作りのおせち料理を堪能しました。
こうしてVやUの家に入り浸っているうちに、冬休みは逃げるように去っていきました。

そして新学期を迎えた朝、わたしは心身の変調を感じました。
胸が突っ張るような感じがして、妙におぼつかない気分でした。
久しぶりに登校するせいだろうか、と思いましたけど、さぼるわけにはいきません。

朝の教室では、クラスメイトたちは口々におめでとうと言い合っていました。
わたしは、床に塗られたばかりのワックスの匂いに吐きそうでした。
わたしが下を向いてこらえていると、Uが近づいてきました。

「○○、おはよ……どないしたんや? 顔色真っ青やないか」

「……うん、気持ち悪い」

「保健室行くか?」

「……新しいワックスのせいだと思う。我慢できる」

でも、変調はそれだけでは終わりませんでした。

(続く)

●連載240(ここでの連載059)●
2002年2月28日(木)21時10分

わたしは授業中ずっと、机に突っ伏して目蓋を閉じていました。
疲れたときはいつもそうしていたので、目立ちはしませんでした。

じっとしていても、胸のむかつきはいっこうに収まりません。
それどころか、お腹まで痛くなってきました。
食あたりの腹痛ではなく、もっと奥の深いところから来る鈍い痛みです。

かつて経験したことのない陰鬱な気分に、これはもしかしたら、
ただごとではないのかもしれない、という疑念が湧きあがってきました。
昼休みに入るまで、一度も指名されなかったのが、唯一の幸いでした。

お弁当を広げるクラスメイトたちの中、わたしは机に両手をついて、
やっとの思いで立ち上がりました。

いつの間にか近寄ってきていたUが、驚いたような声を出しました。

「○○、アンタ……ホンマに顔色悪いで? 保健室行くか?」

「○○ちゃん、どうしたのー?」

わたしは顔を上げることができず、手短に答えました。

「お腹痛い……トイレ行ってくる」

壁づたいに歩くトイレまでの道のりが、果てしなく遠く感じられました。
ようやくトイレの扉を押した時には、全身に冷たい汗をかいていました。

下腹部の痛みは、すでに異物感さえ伴っていました。
自分の心も体も、自分のものでないような、あやふやな感じでした。

便器をまたいでショーツを下ろしたわたしは、ショックを受けました。
ショーツには、茶色いどろどろしたシミが付いていました。
一瞬、下痢でう○こを漏らしてしまったのか、と思いました。

でもすぐに、立ち昇ってきた鉄の匂いが鼻を衝いて、出血だと悟りました。
血尿ではなく、初めての生理……
「初潮」という言葉が、ぐるぐると頭のなかを駆けめぐりました。

UやVを含めて、クラスメイトの女子の多くには、生理が始まっていました。
女子のあいだで日常的に交わされている「アレ」という言葉とか、
ナプキンの貸し借りから、わたしもおぼろげに想像はしていました。

でも、想像とはぜんぜん違っていました。
まさかこんなに気持ち悪くて、痛いものだとは、思いもしませんでした。

頭の奥がずーんと重くなり、光彩のようなものがちらついて、
目の前が暗くなってきました。

これは慣れ親しんだ、貧血の症状だと自覚して、かえってホッとしました。
貧血ならわたしにも対処できます。

わたしは頭を低くするために、便器を抱くようにうずくまりました。
手や制服が汚れてしまいますけど、この際考えている余裕はありません。

わたしはその体勢のままで、文字通り進退窮まりました。
立ち上がって助けを呼びに行くこともできません。
お腹の痛みも、じわじわ湧いてくる出血も、止まりそうにありません。

吐いてしまえれば楽になったのかもしれませんけど、
朝からなにも口に入れていないわたしは、戻すことさえできませんでした。

どれくらいの時間そうしていたのか、わかりません。
一瞬のような気もしますが、その場では永遠に終わらないかと思いました。

どん、どん、と低い音が響きました。
わたしの頭には、最初なんの振動だか見当がつきませんでした。

「○○! 大丈夫か! 返事しぃ!」

Uの声を聞いて、いまのがトイレのドアを叩く音だった、と気づきました。
でもわたしは、そのまま返事するのを忘れていました。

「○○、動いたらあかんで!」

今度は声が、上から降ってきました。
わたしの体の脇に、どん、と2本の足が降り立ちました。

個室のドアが開かれ、Uと入れ替わりに、白衣の裾が入ってきました。
わたしはショーツを下ろして足を広げ、便器を抱いているという、
絶対に人に見られたくない格好をしていました。

わたしが狼狽もせず、下半身を隠そうともしなかったのは、
貧血で頭に血が十分巡っていなかったせいでしょう。

先生はしゃがみ込んで、ささやきました。

「××さん、お腹が痛い? 気分が悪い?」

「お腹痛いです……血が……」

わたしは断片的な言葉しか、口にできませんでした。
先生はわたしの置かれた状況を見て取って、察したのでしょう。
外でなにか指示をして出て行きました。

UとVはなにも言わず、ただわたしのそばにしゃがんでいました。

やがて、先生が帰ってきました。
先生の腕につかまって、わたしはゆっくりと立ち上がりました。

「生理は初めてね?」

「……はい」

「サイズが合わないかもしれないけど、我慢して。
 生理用品は買ってある?」

「……はい……家に」

たぶん、ずっと前に買って仕舞ってあるので、埃をかぶっているでしょうけど。

わたしが先生の手に支えられて脱いだ、血で汚れたショーツは、
先生がどこかに仕舞いました。

わたしがうながされるままに、新しいショーツに膝まで足を通し、
白衣の肩に掴まると、先生はショーツにナプキンを着けてくれました。

わたしは先生とVに両側から支えられて、やっとトイレを出ました。

「車を正門に回しておくから、あなたたちお願いね」

UとわたしとVの3人が、3人4脚のようにして正門前に出ると、
先生はもうそこで待っていました。

わたしが助手席に腰を下ろすと、UとVを残して車は走り出しました。

「先に病院に行きましょ。お腹痛いと思うけど、もう少し我慢して。
 ××さんは持病があるから、主治医の先生に処方箋書いてもらわないと」

(続く)


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