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お兄ちゃんとの大切な想い出 連載211〜220

「お兄ちゃんとの大切な想い出」に掲載した連載211〜220(ここでの連載030〜039)を抽出したものです。番外編もあります。(管理人:お兄ちゃん子)

201〜210
211212213214215
216217218219220
221〜230

●連載211(ここでの連載030)●
2002年1月25日(金)19時15分

背景パネルを落とした男子が、悲愴な表情になりました。

「どうしよう……俺……」

「責任感じるのはわかるけど……不安定な構造が原因だと思う。
 設計したわたしが、一番責任重いよ」

「そやけど! パネルのせいで舞台がパーになったら、
 aになに言われるかわからへんで」

「劇が終わるまで、パネルが保てば良い」

「保つかどうかわからへんのやろ?」

「……みんなで支えましょ」

「支える?」

「パネルをめくる係のUを除いて、4人で後ろから支柱を持って支えるの。
 人力で補助すれば、折れかかった時に倒れるのを防げると思う」

腕組みしていた美術部員の男子が、うなずきました。

「……それしかないか」

Uが眉根を寄せて、わたしに問いかけました。

「○○、アンタには無理と違うか? ずーっと立ちっぱなしやで?
 アンタは腕力ぜんぜんあらへんし」

「わたしの力じゃ、あんまり役に立たないかもしれないけど、
 劇が終わるまでの時間ぐらい、だいじょうぶだと思う。
 それに、他の3人は男子だから、わたしに力が無くてもなんとかなるよ。
 わたしの責任なのに、なんにもしないわけにはいかないでしょ?」

「そうか……それやったら、わたしも支えたる」

「Uは幕間にパネルをめくる係でしょ?」

「そんなん幕間にしか用あらへん。アンタは椅子にでも座っとき。
 幕間だけわたしと替わってアンタが支えたらエエんや」

「……ありがとう。お願いする。
 あと、このこと、先生と監督のaさんに報告しなくちゃ。
 万一の危険を警告しておかないと」

「そらヤバいで。aになに言われるかわからへん」

「黙っていたら、余計に言われるんじゃない?」

パネルを落とした男子が、沈黙を破って声をあげました。

「俺、行ってくるよ」

「わたしも行く」

「アンタが行ったら火に油やで? aに目ぇつけられてんのに」

「気が進まないけど、仕方ないよ。わたしの責任なんだから」

「それやったらみんなで行こ。アンタのアイデア認めたんは係全員や」

男子も全員うなずきました。

「aさんはどこかしら?」

「体育館の裏で最後のリハーサルしてるんと違うか?」

パネルを落とした男子が先頭に立って、
全員で体育館の舞台の袖の横にあるドアから出ようとした時、
ちょうど入ってきたaさんと鉢合わせしました。

わたしたちは5人とも驚いて、棒立ちになりました。

「あなたたち、どこに行くつもり?
 大道具の準備はできてるんでしょうね」

機先を制せられて、前に立っていた男子が口ごもりました。

「あー、それが……」

「みんなでaさんに、会いに行くところだったの」

「もう時間がないっていうのに、なんの用?」

「簡単に言うと……背景のパネルを、運んでいる途中で落として、
 壊してしまったの」

「なんですって!」

「応急修理はしたけど、劇の最中さいちゅうにまた壊れる可能性もある」

「冗談じゃないわよ! 劇が失敗したらどうしてくれるの?」

「壊れないように、劇のあいだずっと、後ろから大道具係全員で支える」

「危なっかしいわね!
 パネルが倒れて劇が無茶苦茶になったら、責任取ってもらうわ」

たまりかねたのか、Uが口を挟みました。

「なんで○○ばっかりに言うのん。大道具係全員の責任やで」

aさんはUをキッと睨みつけました。

「だいたいパネルをあんな変な構造にするから、
 落としたぐらいで壊れるんじゃない。だれが設計したの?」

大道具製作の進捗状況は、男子を通じて何度も報告していました。
設計したのがだれか、aさんが知らないのは不思議でした。

「わたし」

aさんは勝ち誇ったように言いました。

「やっぱり××さんのせいじゃない。
 みんなでせいぜい頑張って支えてちょうだい。
 万が一にも倒れないようにね」

言うだけ言って、aさんはきびすを返しました。

重苦しい雰囲気があたりに立ちこめる中、
今までずっと黙っていた、小柄な男子が口を開きました。

「こうなったら、死んでも支えるしかないな」

全員が大きくうなずきました。

その直後、舞台の袖に出演者たちと担任が入ってきました。
白いドレスに身を包んだVは、ひときわ輝いて見えました。

「Uちゃん、○○ちゃん、見ててねー?」

「ごめんV、わたしたち、演技を見られなくなっちゃった」

Vの顔が、みるみるこわばって、半泣きになりました。

「ええーっ、台詞わすれちゃったらどうしよー?」

(続く)

●連載212(ここでの連載031)●
2002年1月26日(土)18時30分

大事な台詞を大きく書いた、スケッチブックを用意していましたが、
ずっとパネルの後ろに居たのでは、Vに見せられません。

「落ち着いて。わたしもUも、背景のパネルの後ろにずっと居る。
 台詞忘れそうになったら、パネルのそばに来てパネルを軽く叩いて。
 小さな声で台詞教えるから。強く叩いちゃダメだよ」

「どうしてそんなところに隠れるのー?」

「あああーもう。時間あらへん。Vには後でゆーっくり説明したる。
 Vはもういっぺん台本読み。わたしらは忙しいねん」

「V、安心して。すぐそばに居るから」

「うん……」

担任を捕まえて、事のあらましを手短に説明した後、
大道具係5人は背景パネルの裏側に回りました。

幕の向こうから、ざわめきが聞こえてきます。
生徒や保護者たちが、観劇に集まってきているようです。

わたしはパイプ椅子をパネルの裏側に置いて、腰を下ろしました。
Uたち4人は、パネルの裏側に立って、支柱を掴みます。
小柄な男子と、わたしと身長の変わらないUは、無理な姿勢に見えました。

「ここからやとベニヤ板しか見えへんなあ」

そう言って、Uが笑いました。

「自分のクラスの劇なのに、なんにも見えないなんて変だね」

「今日は兄ぃが来てるはずや。後で写真見せてもろて我慢しよ」

アナウンスの後、幕が上がって舞台が明るくなり、ざわめきが静まりました。
劇の始まりです。

舞台の上に居るというのに、パネルの裏側からは、なにも見えません。
パネルの中央のわずかな隙間から、わたしだけは覗くこともできたのですが、
ベニヤ板とにらめっこしている4人を思うと、そんなわけにはいきません。

舞台の両側にある大きなスピーカーから流れる台詞も、
この位置だと音響が干渉するのか、おかしな声に聞こえました。

視線を舞台の袖に移すと、Vが控えているのが見えました。
目をつぶって指を組み、なにか祈っているようでした。

Vの肩がぽんと叩かれました。出番です。
ぱっと顔を上げて目を見開いたVに、わたしは無言でうなずきかけました。
Vも気がついたのか、にこっと笑って舞台に進み出ました。

しばらくVの台詞に耳を傾けてから、わたしはUに囁きました。

「V、乗ってるね」

「今日はXの兄ちゃんが来てるからやろ」

わたしは幕の下りるタイミングを予測して、Uと交替しなければなりません。
神経をそれだけに集中していたので、台詞を楽しむ余裕はありませんでした。

1分が1時間のように感じられました。
Vが一度もパネルをノックしなかったのが、唯一の幸いでした。

1幕目が終わる直前に、わたしはUと交替しました。
無理な姿勢で支柱を掴むのは、思った以上に力が要りました。

幕が下りると、Uが前に飛び出して行きました。
パネルがめくられて落ちると、衝撃が伝わってきてパネル全体が揺れました。

しなる支柱を押さえる指が、ぶるぶる震えます。
これがあと3回もあるのか、と思うと、不安が胸をよぎりました。

劇が終幕に近づく頃には、男子たちも姿勢を保つのに必死でした。
その中に混じっているUの頑張りに、わたしは驚嘆しました。

最後の幕が下りると、遠雷のような拍手を聞きながら、
4人は支柱から手を離して尻餅をつきました。

「あ〜しんど」

「疲れた……」

「終わった……」

男子たちも、疲れ切った様子でした。
一番負担の軽かったわたしでさえ、気疲れしていました。

「みんな、お疲れさま」

……と、言うには早すぎました。まだ、後片付けが残っていたのです。
次のクラスが準備にかかるために、素早く撤去しなければなりません。
役目を終えた背景パネルを指定の場所に運んで、やっと解放されました。

わたしとUが、ぼうっとその場にたたずんでいると、
そこに着替えを済ませたVと、Yさん、Xさんの3人がやってきました。

「Uちゃん○○ちゃんありがとうー。おかげでアガらなかったよー」

「立派やったで」

「V、良かったね」

Yさんが口を開きました。

「うんうん、良い舞台だった。1年生にしてはよくやったと思うよ。
 ところで、これから暇なんだろ? 校内を案内してくれよ」

「ちょっとは休ませたろ、ちゅう気遣いは無いんかい?」

「う……後でもいいけど……」

「U、V、お兄さんたちを案内してあげて。
 わたしは保健室に行ってくる」

「具合悪いんか?」

「そういうわけじゃないけど……1日分の気力を使い果たしたみたい。
 文化祭見物より、のんびりしたい」

「そっか……しゃあないな。ゆっくり休み」

わたしは4人から離れて、白いシーツの待つ保健室に向かいました。
どこかに、仲の良い2組のカップル?を見ていたくない気持ちもありました。
お兄ちゃんは、ここには居ないのです。

(続く)

●連載213(ここでの連載032)●
2002年1月27日(日)18時50分

わたしはそのまま、文化祭終了まで、保健室でサボっていました。
布団にくるまって安穏としていると、UとVの2人が迎えに来ました。

「○○、起きてるか? 調子はどうやのん?」

わたしは掛け布団から顔だけ出して、答えました。

「もうだいじょうぶ。投票の結果はどうだった?」

「劇のグランプリは3年に持って行かれたわ。
 まぁしゃあない。わたしも観とったけど、上手いもんやった。
 それより、アンタも打ち上げに来るやろ?」

文化祭終了後に、クラスの有志で打ち上げをすることになっていました。
わたしは、天井を見つめました。

「わたしは……やめとく」

「えー? わたしも行くんだよー?」

「そや。それにアンタがうへんかったら、逃げたと思われるで」

「それで、良い」

「エエことあるかい! aみたいなン威張らせといて悔しないんか?」

Uの声のほうが、よっぽど悔しそうでした。
どういうふうに言えば、今のわたしの気持ちがUに伝わるんだろう……
そう考えて、ハッとしました。

わたしは、天井を見つめたままで、言いました。

「U、わたし、いま気がついた」

「……? なんのことや?」

「わたし、恐いんだ」

「恐い……て、aがか? ウソやろ?
 アンタaが興奮しとっても平然としてるやないか」

「そう見えるだけ。そっか……Uにもわかってなかったんだ。
 わたしもいま、やっと気づいたところだから、ムリないけど。
 わたし、他人ひとの感情が恐い。うまく理解できないせいかな。
 剥き出しの感情をぶつけられると、どうして良いのかわからない」

「……信じられへん。今日かて、aが嫌味言うてるとき、
 アンタは涼しい顔してaを見返してたやんか」

「あれは……視線も表情も動かせなかっただけ。
 考えてみたら、Z君の時も、b君の時も、同じだった。
 強い感情に晒されると、わたしの体は機能を停止しちゃうみたい。
 今まで、1人で居たほうが落ち着く、って思ってた。
 ……そうじゃない。他人が恐かっただけなんだ。
 敬遠されてる、って思ってたのも、ホントはわたしが拒絶してたのね」

わたしのつぶやきは、独り言のようになってきました。

「……そんなら、わたしらのコトも邪魔やったんか?
 わたしは○○にぎょうさん酷いコト言うたで?」

「邪魔じゃない。Uは口が悪いけど、悪意は無いでしょ?
 最初からそうだった。だから、嫌な気持ちになったことない。
 2人にはホントに感謝してる。
 2人が居なかったら、今のわたしは空っぽになってたよ」

掛け布団の下の手のひらを、誰かの手が握りました。Vでした。
Uが気遣わしげに尋ねてきました。

「わたしがアンタに悪い噂のコト教えた時も、ホンマは傷ついてたんか?」

「あれは平気。
 噂話を聞いても、噂を流した人の顔も声も届かないでしょ。
 そんなのは本に書いてあることと同じ。
 わたしには関係ない、って思えば無視できる。
 でも、面と向かうとダメね……。
 ごめんね。Uが思ってるより、わたし弱いみたい」

「○○!」

名前を呼ばれて振り向くと、Uが顔をしかめていました。

「わたしは、アンタが弱いなんて認めへんからな!
 ちょっとしんどぉて気ぃ弱ぁなってるだけや。
 アンタが打ち上げ出ぇへんのやったら、わたしもやめとく」

「わたしもー」

「……Vは今日の主役でしょ?
 打ち上げに出ないわけにはいかないよ。
 UはVに付いててあげて。わたしは1人で帰れる」

「そんな弱々しい顔してるアンタを1人で帰されへん」

「ふふ、U、さっきと言ってることが違うよ。
 うん……わたし、いま気づいたこと、やっぱりショックだった。
 でもね、お兄ちゃんが遠くに行ってから、UやVに会うまで、
 わたしずっと1人だったから、1人は平気だよ」

わたしはUとVに微笑んで見せました。
2人とも、言葉を失っているようでした。

「……どうかした?」

「アンタは……アンタは、なんでそんなことスラッと言えるんや?
 やっぱりアンタは強いで。
 もうエエ。1人で帰り。でもな、覚えときや。
 ホンマにしんどなったら、わたしでもVでも頼るんやで?
 アンタ見とったら、スーッと消えていきそうで恐いわ」

「U……わたし幽霊じゃないよ」

「冗談とちゃう! しんどかったら、明日は休んで寝とくんやで?」

わたしがうなずくと、2人は出ていきました。
わたしのすることは、保健室に鍵をかけてキーを職員室に持っていくだけです。

1人で帰り道を辿りながら、思いを巡らせました。
新しく発見した自分の弱点は克服できるのかどうか、と。

具体的な方策は見当もつきませんでしたけど、
これが現実なら、なんとかやっていくしかないな、と思いました。

この後、お菓子やジュースは黙認されていた打ち上げに、
こっそりお酒を持ち込んでいた男子が居たことが先生にバレて、
打ち上げの参加者全員が体育館で正座させられて説教されたとか、
Vの常人離れした性格を知らない他のクラスや上級生の男子に、
お姫様を演じたVが追いかけ回されて、文字通り逃げ回ることになったとか、
ちょっとした事件がありましたけど、それはまた別のお話です。

(続く)

●連載214(ここでの連載033)●
2002年1月28日(月)19時20分

自分の性格に深刻な問題がある、とわたしが自覚したところで、
それだけではなんの解決にもなりません。

わたしは相変わらず、クラスの雰囲気から浮いていました。
好意的に見る人には、孤高を保っている、と思われたでしょう。
そうでない人には、傲慢に見下ろしているように映ったかもしれません。

実はそのどちらでもなく、硬い蟹のような甲羅の下に、
ひ弱な柔らかいわたしの心が隠されているのだ、と知っていたのは、
UとVの2人だけでした。

表面的には、わたしの態度はそれまでと変わりませんでした。
翌日、登校したわたしは教室に入って、UやVに挨拶しました。

どこからか、aさんがわたしを見ているかもしれない、とは思っても、
こちらから視線を探したりはしませんでした。

そういうわたしの態度が、aさんには余計腹立たしかったのではないか、
と今になって思います。

肌に当たる風が涼しくなり、秋がやって来ました。
わたしは相変わらず、暇さえあれば本ばかり読んでいました。

例外は、体育の授業中です。
グラウンドの隅の木陰で、授業を見学していなければなりません。

遠くで行われている体育の授業をぼんやり眺めながら、
わたしは制服にコートを羽織った姿で、思索に耽っていました。

体育を見学する女子は他にも居ましたけど、
その子たちは体操服に着替えて、離れた場所に固まっていました。

見学の際には体操服に着替えることが義務づけられていましたけど、
わたしだけは体を冷やさないようにと、義務を免除されていたのです。

中学の制服は、もうすっかり体に馴染んでいました。
小学校の頃、世界は単純でした。
中学になって、友達ができ、世界が広がったように思えました。

いえ、そうではなく、もともと世界は広大だったのでしょう。
わたしの視界が狭かっただけです。

気がつくと、体は大人に近づき、知識も増えていました。
でも、その知識を漁っても、広い世界で迷子にならないようにする方法は、
見つかりませんでした。

ふと、見知らぬ男子が、こちらに向かって歩いてくるのに気づきました。
授業中なのに制服を着ているので、サボっているのかと思いました。

近くまで来て、上級生だとわかりました。
先輩は、木にもたれかかっているわたしの横を素通りして、
芝生の上にごろりと横になりました。

先輩はわたしのほうを見ようともせずに、言い放ちました。

「邪魔だった?」

「いいえ……」

わたしがあいまいに答えると、先輩は気のない声で尋ねてきました。

「君も見学?」

「はい」

「ここ、日溜まりであったかいからね。体育館は寒くてやってらんない」

君「も」と言われて先輩の顔を見ると、唇の色が土気色でした。

「……先輩は、どこかお悪いんですか?」

「心臓が、ね」

そのまま先輩は目をつぶって、眠るように見えました。

「治るんですか?」

不用意な言葉を口にしてしまってから、わたしはハッとしました。

「治るさ、手術すれば、ね」

「良かった……」

「手術して生きていれば、だけどね」

まるで人ごとのような、何気ない口調でした。
まじまじと顔を見つめると、死人のような顔色です。

「恐く、ないんですか?」

「恐いに決まってる。でもまぁ、ジタバタしてもしょうがない。
 君も病気?」

「腎炎です」

「そう、それは知らないな」

話の継ぎ穂が折れて、静寂があたりを包みました。
なにを言っているのか判らないかけ声が、遠くから聞こえてきました。

先輩が寝ようとしているのに、起こしては悪い、と思って、
わたしは授業の見学を再開しました。
といっても、ただぼんやりと見ていただけですけど。

チャイムが鳴って、本当に寝てしまった先輩に声をかけました。
先輩は眠そうな目をこすりながらむっくり起きあがり、
「じゃ」と一言残して行ってしまいました。

それから、毎週1回、その体育の授業の時だけ、先輩と会いました。
先輩はいつもごろごろして、どうでも良いといった口調で、
ぽつりぽつりと取り留めのない話を振ってきました。

病気のことや、プライベートなことは、一切話題に上りませんでした。
わたしがなにを話しても、先輩は「ふぅん。面白いね」と、
ちっとも面白くなさそうに答えるのです。例外はありましたけど。

「先輩には、友達居ますか?」

「……なんでそんなこと訊く? 友達居なさそうに見えるか?」

「いえ……人間関係って難しいなぁ、って考えてました」

「友達ねぇ……居ないこともないけど、深く付き合う気はしない」

「淋しくないですか?」

先輩は初めて、目を見開いてわたしを見ました。

「淋しいさ。でもなぁ、深く付き合えば、別れが辛くなる、お互いに。
 心臓に爆弾抱えてるとさ、親友も彼女も作る気にならない。変か?」

(続く)

●連載215(ここでの連載034)●
2002年1月29日(火)11時30分

「変かどうかは、わたしにはよくわかりません。
 わたしも、変だって人に言われますから」

でも、先輩の考え方は、あまりにも淋しいと思いました。

「……別れた後、思い出してもらえないのは、淋しくないですか?」

「はっ、どうせその時は自分は居なくなってる。淋しいもなにもないさ。
 それより、悲しまれるほうがよっぽど辛いよ」

「……その時、自分が居なくなってるとしたら、
 辛いとも感じないんじゃないですか?」

「うぅむ……それもそうか。
 でもなぁ。泣かれるよりは忘れられたほうがマシだよ。
 付き合いが深くなけりゃ、どうせすぐに忘れるしな」

先輩はまたごろりと寝ころんで、目蓋を閉じました。

そういえば、わたしと先輩がお互いに知っていることは、ごくわずかでした。
電話番号はもちろん、住んでいる場所も、家族も、夢も知りません。
知っているのは、名札に書いてある苗字、学年とクラスぐらいのものです。

先輩は自分のことを何一つ語らず、わたしのことを詮索もしませんでした。
恋愛が話題に上ることは、一度もありませんでした。

奇跡的にわたしと先輩の逢瀬が噂にならなかったのは、
誰かが端で見ていても、付き合っているようには見えなかったせいでしょう。

先輩はいつもそっぽを向いていましたし、
わたしから2メートル以内には、近づこうともしませんでした。

わたしがUにもVにも、なぜか先輩のことを話さなかったのは、
グラウンドの日溜まりに居る時に限って、
先輩との関係が存在するような気がしたせいかもしれません。

別の日、わたしは読んだばかりの本の話をしました。
リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の話です。

「ふぅん。すると、人間は遺伝子の乗り物に過ぎない、ってこと?」

「人間を含めたすべての生き物は、です」

「じゃあ、人間がなにをしようと、遺伝子の思惑通りってわけだ」

「遺伝子に『思惑』という概念はないんです。
 ただ、適応した遺伝子が生き残るだけです。
 でも、遺伝子に思惑があってもなくても、
 人間がその思惑に乗せられる必要はないと思います」

「遺伝子に操られているんなら、なにをしても無意味じゃないの?
 人間に自由意志が無いんだったらさ。
 それとも自由意思が存在する、って君、証明できる?」

「ややこしそうなので、証明はできません。
 でも……証明できなくても、自由意思を信じたほうが賢明です」

「わかんないな……?」

「4通りの可能性があります。
 仮に自由意思が存在しないと考えて、実際に存在していなかった場合。
 予想が当たっても、得る物はなにもありません。
 仮に自由意思が存在しないと考えて、実は存在していた場合。
 存在しないと予想して、自由意思を使っていないので、
 なにも得られません。
 仮に自由意思が存在すると考えて、実は存在していなかった場合。
 予想が外れたわけですけど、ダメでもともとです。
 仮に自由意思が存在すると考えて、実際に存在していた場合。
 賭けに勝ちます。
 自由意思が存在しないほうに賭けても、100%負けです。
 存在するほうに賭ければ、五分五分です。
 それなら、存在するほうに賭けたほうが賢明でしょう?
 どうせ存在するかどうかなんて、最後まで気づかないでしょうけど」

先輩はわたしが言い終わるまで、眠ったように静かに聞いていました。

「ふぅむ……なるほどね。面白い。
 君、そういうことだとよくしゃべるんだな」

なにが面白いのか、先輩は歯を見せて笑いました。
先輩がわたしに笑顔を見せたのは、これが最初で最後でした。

次の週、先輩はグラウンドにやってきませんでした。その次の週も。
寒くなったので来るのをやめたのか、それとも学校に来ていないのか……
もしかして入院したのか、わたしには知るすべがありませんでした。

友人でも彼女でもなく、知り合いとさえ言えるかどうかわからない、
微妙な関係のわたしには、先輩のクラスに行って尋ねる資格もありません。
現実を確定するのが、恐かっただけなのかもしれませんけど。

わたしはセーターとコートとカイロで武装して、いつもの木の下に陣取り、
先輩がいつも寝転がっていた芝生を眺めながら、つぶやきました。

「先輩は、間違ってましたね……。
 人が人に関わらずにいるなんて、ムリです。
 なんにも知らされなかったのが、余計に悲しいですよ?」

わたしは風変わりな先輩に、恋をしていたわけではありません。
でも、どこか心惹かれていたのは確かでした。

わたしの瞳は、乾いていました。
泣くための材料すら与えられないのは、残酷だと思いました。

(続く)

●連載216(ここでの連載035)●
2002年1月30日(水)10時55分

学校の帰り道で、Uが訊いてきました。

「なんや○○、今日は一段と暗いやん」

「そう?」

「なんかあったんか?」

「なんにも……なんにも起きなかった」

「……?」

「メランコリーなんだ。こういう時もあるよ」

「……日本語で言うてくれへんか?」

「憂鬱、ってこと。寒くなってきたしね」

「Vはあの通り明るいで? 明るすぎてヤバいぐらいや」

歩いているVの表情は微笑を通り越して、にへにへと無気味でした。
鞄を振り回して時々くるくるターンするので、危なくて仕方がありません。

「V、なにかあったの?」

「うふふー、ヒミツなのー。ねー聞きたい? 聞きたい?」

話したくてうずうずしているVを、落胆させるのは気が引けました。

「教えて。お願い」

「えへへへー。実はねー、クリスマスの前に洗礼式をすることになったのー。
 それでねー、お祝いにイブの夜にパーティーするのー。
 おにーちゃんも来てくれるんだー」

Vの放射する歓喜のオーラで、わたしまでにやけてきました。

「良かったね、V」

洗礼式は見たことがありませんでしたけど、
プロテスタントの2大儀式の1つである聖餐せいさん式は、
わたしも教会に通ううちに、何度か遠くから見ていました。

厳粛な雰囲気の中で、先輩の信徒たちに囲まれて、
Vはきっと善良なクリスチャンになるのだろう、と思いました。

「2人ともパーティーに来てくれるでしょー?」

「当たり前やん、行く行く」

Uが即答しました。わたしは少し考えてから、返答しました。
お兄ちゃんは来なくても、お兄ちゃんのケーキを待って、
クリスマスイブを過ごそう、と心に決めました。

「わたしは……行けない」

「えー? どうしてー?」

「クリスマスイブには、お兄ちゃんがケーキを届けてくれるの。
 わたしは家に居なくちゃ」

がっかりした様子のVに代わって、Uが答えました。

「兄ちゃんはように帰ってくるんか。それやったらしゃーないなぁ。
 ○○は兄ちゃんとめったに会われへんのやから」

Uは誤解したようでしたけど、あえて訂正する気にはなれませんでした。

「うん……ごめんね、V」

「……洗礼式には来てくれるー?」

「わたしは参加できないよ?」

洗礼式と聖餐式には、クリスチャンでない者は参加できません。
赤ワインを飲み薄いパンを食べる聖餐式を見た時も、
わたしは玄関ホールから覗いただけでした。

「遠くから見ててくれるだけでいいよー」

「うん、それならオッケー」

「どんなもんか、わたしもいっぺん見ときたかったんや」

Uは野次馬根性が旺盛でした。

「クリスマスプレゼントはもう決めてるんか?」

「うーーん、どうしようかなー?」

Vが悩んでいるのは、Xさんに贈るプレゼントのようでした。
Xさんは強制的にVになにかねだられるのだろうな、と内心苦笑しました。

「○○も兄ちゃんになんかあげるんやろ?」

「うん。お守り袋を作ってる」

「お守りぃ? アンタ神道の信者やったんか?」

「ふふふ、まさか……。
 お守り袋っていっても、願掛けのためじゃないよ」

「願掛けしないお守りってあるんか?」

UとVは顔を見合わせて、首をひねりました。

「お兄ちゃんは病気はしないけど、よく外でトレーニングするから、
 怪我したりしないかな、って思うの。
 首から下げる大きめのお守り袋を作って、絆創膏とか入れておいたら、
 擦り傷ができても、ばい菌が入らないように手当てできるでしょ?」

「……ちょーっと変わってるけど実用的なプレゼントやな」

「うん。ありきたりのプレゼントだと、お兄ちゃん人気者だから、
 ダブっちゃいそうだしね」

お兄ちゃんが手編みのマフラーを女の子から差し出されている光景が、
頭の中に浮かんで、ちくりと胸を刺しました。

家に帰ってコートを脱いでいると、電話の呼び出し音が鳴りました。

「はい、××です」

「○○か、俺だ」

お兄ちゃんからの珍しい電話でした。

「あ……お兄ちゃん、元気?」

「ああ、いつだって元気さ。ところでもうじきクリスマスだろ?
 ケーキ、どっちにするかもう決めたか?」

「えーと……」

イチゴ生クリームにするか、チョコレートにするか、
決めるのをすっかり忘れていました。

「んー、まだか……じゃ、こっちで勝手に決めていいか?」

「うん」

当日までどっちかわからないほうが、楽しみにできます。

「それとな、イブの晩は特になにも準備してなくていいぞ。
 ケーキと一緒に一式届けるから、楽しみにしてろ」

「うん」

(続く)

●連載217(ここでの連載036)●
2002年1月30日(水)16時50分

「去年はケーキがプレゼントになっちゃったけど、
 今年はプレゼントは別だ。期待していいぞ」

お兄ちゃんの声は楽しげでしたが、わたしは少し不安になりました。

「お兄ちゃん、そんなに……お金使わなくて良いよ?
 わたし、ケーキだけで嬉しい」

「任せとけって。こないだからバイト始めたんだ」

「アルバイト?」

「ああ、家庭教師だ。知り合いの家の中学生を教えてる」

「家庭教師って……大学生がするものじゃないの?」

「ふつうはそうなんだろうな。友達に頼み込まれたんだ。
 こいつ、下に中2の妹がいるんだけど、勉強はしない、塾はサボる、
 親の言うことは聞かないっていうわがままな子らしくて……。
 それがどういうわけか、俺が家庭教師するんなら勉強する、
 って言い出したらしい」

「お兄ちゃん……その子のこと、知ってたの?」

「いや、学園祭で一度会ったみたいなんだが……覚えてなかった。
 まぁ、友達の頼みだしな、えらく条件が良いんで行ってみたら、
 晩飯は食わしてくれるし、これが兄貴の話と違って素直な子だった」

わたしの心の中で、警報機が鳴り出しました。

「その子、どんな感じ? 可愛い?」

「んー。可愛いって言えば可愛いかな……?
 しかし性格がいまいち掴めなくてな……お前に訊きたいぐらいだよ」

お兄ちゃんの声の歯切れが悪くなりました。

「どういうこと?」

「兄貴の言うのとは違って良い子なんだが……緊張しすぎなんだ。
 俺がなにか言うと『はいっ』って元気良く言うとおりにするのはいいけど、
 肩なんかもうガチガチで、笑顔が引きつってるんだよ。
 話しかけるまでなんにもしゃべらないしな……。
 今時の女子中学生って、なに考えてるのかな?」

クラスで一番浮いているわたしに、今の女子中学生の生態を訊こうなんて、
お兄ちゃんも見当外れのことをする、とわたしはため息をつきました。
でも、同年代の嗜好にうといわたしでも、わかることはあります。

「ハァ……お兄ちゃんがそんなに鈍いなんて、思わなかった」

「あ? 俺が鈍い?」

「そう。その人、きっとお兄ちゃんが好き」

「えぇ? ……しかし、初対面の時なんか思い切り睨まれたんだぞ?
 その場で帰ろうかと思ったぐらいだ」

わたしはまた、大きくため息をつきました。

「お兄ちゃん、女の敵ね。犯罪的」

わたしの声は、自分の耳にも、氷雪のように冷たく響きました。

「おい! なに怒ってるんだ?」

「その人がぎくしゃくするのは、好きな人の前でアガってるの。
 お兄ちゃん、どうするつもり?」

「マジか……? 参ったな」

電話越しにも、お兄ちゃんが苦り切っているのがわかりました。

「困る? お兄ちゃん、付き合ってる人居るから?」

「いや、今は居ない」

思いがけない返事に虚を衝かれました。

「……ホントに?」

「まぁ、一緒に遊びに行くぐらいの女友達は居るけどな。
 特定の彼女は作ってないよ。トレーニングもバイトもあるし、忙しくて」

「じゃあ……その家庭教師してる子が告白してきたら、付き合う?」

鼓動が痛いぐらいに激しくなってきました。
電話越しでなかったら、お兄ちゃんに悟られかねないぐらいに。

「いや、そんな気はぜんぜん無いけどな……。
 仲のいい友達の妹だからな……泣かせるわけにもいかないし、困った」

わたしは安堵の長い息を吐きました。

「まぁ……まだそうと決まったわけでもないし、
 いざとなったらその友達に相談してみるよ。
 あ……長電話になっちまった。じゃ、またな」

「またね」

お兄ちゃんが逃げるように電話を切り上げたせいで、
最後までわたしの声は冷たいままでした。

部屋に戻ってお守り袋を縫いだしても、もやもやしたものが胸にわだかまって、
なかなか手許に集中できませんでした。

お兄ちゃんが家庭教師をしている子は、どんな顔をしているのだろう?
実の妹のわたしがいっしょに居られないというのに、
その子がお兄ちゃんに寄り添って勉強できるなんて、不条理ではないか?

お兄ちゃんが誰と付き合おうと、妹のわたしに口出しできる筋合いはない、
とわかっていても、波立った胸のざわめきは、なかなか静まりません。

お兄ちゃんがクリスマスイブにその子の家に招かれて、
顔のぼやけた誰かから告白を受ける光景が、目の前に浮かび、
顔も知らない相手に嫉妬するなんて、どうかしてる、と自嘲しました。

(続く)

●連載218(ここでの連載037)●
2002年1月31日(木)20時10分

クリスマスイブの前の日曜日、わたしはUと2人でデパートに行きました。
受洗するVへのプレゼントとして、2人で革装の聖書を探しました。

装丁がわが違うだけやのに、めっちゃ高いな〜」

革装聖書の値段に驚いて、Uがうめき声をあげました。

「ふつうのなら安いけど、せっかくのお祝いだし……」

「しゃーない、一生に一度のコトやし、ふんぱつしよか」

それからわたしは、お守り袋に入れる物を買いました。
防災用品コーナーで売っている、レスキューキットです。
救急絆創膏や、緊急連絡先・血液型を書く紙などが入っています。

「そんなに入るんかいな?」

「最低限に絞らないと、お守り袋には見えないね……」

お守り袋は予定とは違って、ずいぶんずんぐりした形になりました。
その日は早めに帰って、お守り袋を田舎に送りました。

洗礼式の日、教会に行くと、Vとそのご家族はもう来ていました。
挨拶していると、Uもすぐにやってきました。
わたしとUはVから離れて見守りながら、つぶやきを交わしました。

「綺麗ね……」

「ホンマやなぁ……」

いつものフリフリの服とは違う、シンプルで深い色のワンピースを着たVは、
緊張のせいか引き締まった顔つきをしていて、大人っぽく見えました。
大きな瞳が歓喜にきらめいて、輝くような美しさでした。

とうとう、クリスマスイブの日がやってきました。
わたしは晩ご飯も食べずに、ケーキの到着を待ちました。

今ごろはVの家でパーティーの真っ最中だろうな、と思っても、
不思議と淋しくはありませんでした。

UとVとの3人でならともかく、大勢での賑やかなパーティーは、
自分とは関係ない、別世界の出来事のように思えたのです。

ダイニングの椅子に座ってぼんやりしていると、
ぴんぽーん、とチャイムの音がして、小さく声が聞こえました。

「お届け物です」

「はい」

わたしはパタパタとスリッパを鳴らして、玄関に急ぎました。
玄関の鍵を外すと、ドアが勢いよく開きました。

「クリスマスケーキをお持ちしました」

わたしは呆気にとられて硬直しました。

「……お、お兄ちゃん?」

「びっくりしたか?」

お兄ちゃんはにやにや笑いながら、中に入ってきました。

「もっと早く着くはずだったんだけどな。
 荷物が多いから慎重に歩いてきたんだ。とにかく荷物を置かせてくれ」

お兄ちゃんはわたしの目の前を通り過ぎ、ダイニングに入って行きました。
わたしはまだ、夢を見ているのかと思いました。

「なにしてるんだ? ○○、こっちに来いよ」

呼ばれてわたしがダイニングに入ると、
お兄ちゃんはコートも脱がずに荷ほどきをしていました。

「お兄ちゃんが帰ってくるの、もっと遅くなるんじゃなかった?」

「ん……ああ、お前が待ってるだろうと思ってな」

「あっちでパーティーに呼ばれなかった?」

「まぁ……いろいろあってな……後で話すよ。
 ん? もしかしてお前、誰かに招待されてたのか?」

お兄ちゃんが手を止めて振り向きました。

「Vに」

「あ……すまん。考えてなかった。
 お前、パーティーを断って、ケーキが届くのを1人で待ってたのか……」

「良いの。もう、ケーキ届いたし」

やっと胸の奥から悦びが湧き上がってきて、わたしは笑みをこぼしました。

「ケーキはどっちにしたの?」

「当ててみな」

「うーーん、チョコレートでしょ。お兄ちゃん、甘いの苦手だから」

「半分当たり」

「?」

「両方だ」

お兄ちゃんが大きな鞄からそーっと取り出してテーブルに置いたのは、
イチゴ生クリームとチョコレートの、2つのケーキでした。

「こんなに2人で食べきれないよ?」

「美味いから明日も食べられるさ。まだある」

続いて鞄から出てきたのは、アルコール抜きのシャンパンと、
フライドチキンでした。

「もうひとつ」

お兄ちゃんは丈の長いコートの中に手を入れて、ごそごそしました。
中から出てきたのは、少しひしゃげた真っ赤な薔薇の花束でした。

「手品みたいに綺麗には出せないな……」

わたしはしばらく声も出ませんでした。

「これ、わたしに? 高かったんじゃない?」

「買うの恥ずかしかったけどな……クリスマスぐらいいいか、と思ってな。
 病気の妹のお見舞いだ、って言ったらオマケしてくれたよ」

お兄ちゃんは、驚いたわたしに満足したのか、白い歯を見せて笑いました。

(続く)

●連載219(ここでの連載038)●
2002年2月1日(金)20時10分

わたしはまるで現実離れした夢の中に居るような気がして、
目をぱちぱちさせました。

「夢みたい……」

お兄ちゃんがわたしの頬をつまんで、むにむにと引っ張りました。

「なんでこんなに柔らかいんだ? いくらでも伸びるぞ」

「いひゃい」

お兄ちゃんは指を離し、声を上げて笑いました。

「あはははは、驚いたか」

「うん。でも、ケーキ2つなんて、初めて」

「去年はいっしょに祝えなかったからな。2年分だ」

「去年もケーキはあったよ?」

一昨年おととしはなんにもなかっただろ? 去年のケーキは一昨年の分。
 さ、パーティーの準備だ」

わたしはお兄ちゃんと手分けして、台所でチキンを温め直し、
グラスやお皿をテーブルに揃え、薔薇を飾りました。

テーブルでケーキを切り分けて、ノンアルコールのシャンパンで乾杯です。

「夏からどんなことがあったのか、聞かせてくれ」

まずはわたしがしゃべる番でした。最初に、文化祭の劇の話をしました。
台本の書き直しと背景パネルの工夫のことを話すと、
お兄ちゃんは「やるじゃん」と嬉しそうにうなずきました。

でも、背景パネルが壊れて舞台で後ろから支えたところに差し掛かると、
お兄ちゃんの顔が曇ってきました。

「ん……ちょっといいか?」

「なに?」

「そのパネル、もしかして……細工されてたんじゃないか?」

「どういうこと?」

「つまりさ、実際に舞台で壊れてたら、お前の責任になったんだろ?
 落とさなくても、舞台でパネルをめくる時に壊れるようにしておけば……
 そのaっていう子がお前を吊し上げる口実になる」

「……それはない、と思う」

「俺もこんなこと考えたくないけどな……
 aって子にしてみれば脚本にケチつけられたと思ってるわけだろ?
 お前のせいで舞台が失敗に終わったら、いくらでもお前を罵倒できる」

「お兄ちゃん、考えすぎ。
 aさんは劇の発案者で、監督で、脚本家なんだよ?
 劇が成功するように、誰よりも頑張ってた。
 まぁ……空回りすることもあったけど。
 わたしを攻撃する材料を作るためだからって、
 劇そのものをめちゃくちゃにしてしまったら、本末転倒じゃない。
 やっぱり資材をケチって、パネルの強度が不足したのが原因だよ」

「そうか……」

「それより、その後で、気づいたことあった」

「なんだ?」

話を続けるには、勇気が必要でした。
胸が押さえつけられたみたいで、息を吸いこむのが苦しくなりました。
わたしの言葉は、いつも以上に切れ切れになりました。

「……わたしの、弱点」

保健室でUたちに話したことを、わたしは繰り返しました。
お兄ちゃんにも意外だったらしく、すかさず反論がありました。

「お前が弱いだなんて……信じられない。
 お前は体は弱いけど、親父とお袋が喧嘩してても、
 平然としてたじゃないか。
 やりきれないくて、俺が顔に出してるときでも」

「そう見えただけ。言ったでしょ?
 剥き出しの感情をぶつけられると、体が動かなくなる、って。
 家の中じゃ、逃げ場がないもの……。
 表情を動かなくして、嵐が通り過ぎるのを待つしかない」

わたしが中学生になってからの連載には、両親が登場していません。
いくら両親が留守がちだといっても、たまには顔を見ます。

でも、同じパターンの繰り返しになるので、書きたくなかったのです。
……両親が揃ったときには、たいてい夫婦喧嘩をしていました。

お兄ちゃんはケーキを食べる手を止めて、沈痛な表情になりました。

「ごめんなさい。こんな話、しちゃって。
 でも、お兄ちゃんには、良いところも悪いところも、
 本当のわたしを知っておいてほしかった」

「いや……構わないけどさ……これからどうするんだ?」

「……まぁ、急に変われるものじゃないし、
 なんとかやっていくしかないかな?
 体がポンコツなのを、だましだまし動かしてるみたいに」

わたしは自分の口にした例えに、くすりと笑いましたが、
お兄ちゃんはにこりともしませんでした。

「別の話、しようか?」

「ああ、頼む。体育祭の思い出は、なかったんだな?」

「うーん。体育祭の時は、ずっと本部テントの下に居たから。
 競技や応援をしてるのが、ずっと遠くの蜃気楼みたいで。
 Vが徒競走で1着になって、テントに駆け込んできて、
 大きな声ではしゃぐもんだから、先生に怒られたぐらいかな?」

「へぇ……Vちゃんって、あの『だよー』って言う子だろ?
 ちょっとトロそうに見えたんだけどな」

「あ、ひどい。Vは運動神経が良いんだよ。
 気が優しすぎて攻撃できないから、球技とかだとぜんぜんダメだけど」

「人はみかけによらないな」

やっと、お兄ちゃんの笑顔が戻ってきました。

(続く)

●連載220(ここでの連載039)●
2002年2月2日(土)20時30分

心臓病の先輩のことを話すべきか、わたしは迷いました。
せっかく雰囲気が明るくなってきたのに、また暗くなる気がしたのです。

でも、あの先輩の声が記憶から薄れる前に、話したい気持ちが勝ちました。
胸の奥のざわめきを、静めたかったのかもしれません。

「お兄ちゃん、それでね、も1つあるんだ、想い出」

「ん、なんだ?」

「2学期に話すようになった、男子の先輩のこと」

「cのことか?」

「cさんとは、一度パフェを食べに行っただけ」

「なにぃ? cのヤツ……お前、なにかされなかっただろうな?」

お兄ちゃんが目を、一杯に見開きました。
お兄ちゃんがうろたえるのを見ると、なぜか心が躍りました。

「なんにもされてないよ。わたしから誘ったんだし」

「お前が誘った? お前、cみたいなのが好みなのか?」

お兄ちゃんは、信じられないものを見たような顔になりました。

「そうじゃなくて。いろいろお世話になったから、
 UやYさんといっしょに喫茶店でおごっただけ。
 cさんは、わたしとは世界が違う、って言ってた」

「そっか……良かった」

お兄ちゃんはホッとしたのか、椅子に背中を預けてぐったりしました。

「なにが良いの? cさん、お兄ちゃんの後輩なんでしょ?」

「いや……あいつ、女に手が早いから」

「信用できない人に、わたしのことを頼んだの?」

「まさか、あいつもお前にだけは手を出さないと思ってな」

お子様扱いされているようで、カチンときました。

「……それは、わたしが女じゃない、って意味?」

「いやその……そういう意味じゃなくてだな……」

お兄ちゃんの声が、ごにょごにょと小さくなりました。

「まぁ、良い。話がすっかり脱線してるし」

わたしは姿勢を正して、心臓病の先輩の話を始めました。
聞いているうちに、お兄ちゃんの表情も真面目になりました。

「しかし……単に学校を休んでるだけかもしれないだろ?」

「そうかもしれない……けど、なんとなく、もう会えないと思う」

特に理由はなかったのですが、そういう確信がありました。
お兄ちゃんは、真剣な口調で、身を乗り出して尋ねてきました。

「お前、その先輩のことが、好きだったのか?」

息の詰まるような、時が流れました。でも、不快ではありませんでした。
わたしはしばらく顔を伏せて、考えて、答えました。

「……よく、わからない。深く知り合ってたわけじゃないし。
 好きだとか、愛してる、というのとは、違うと思う。
 ただなんとなく胸がもやもやして、ちくっとするだけ」

わたしは独り言のように、いやじゃ姫の話、肝炎のお兄さんの話をしました。
お兄ちゃんは静かに、最後まで黙って聞いていました。

「そうか……お前もいろいろ考えてるんだな……。
 だけど、もやもやするんだったら、言葉にしてしまったほうが、
 楽になるんじゃないか?」

「そうかもしれない。
 でも、1つの言葉にしてしまったら、収まりがよくなって、
 心の奥のほうに沈んでいっちゃう。
 いつかは忘れてしまうかもしれないけど、今は、忘れたくない。
 忘れちゃいけない、と思う」

「……お前も、大人になったな。俺よりも大人だ」

お兄ちゃんが、ぽつりと、感慨深げにつぶやきました。
わたしの目には、その笑みがどことなく寂しげに見えました。

「そんなことないよ。お兄ちゃん、ずっと昔から大人だったじゃない」

「ん……そうだといいけどな……。
 しかし、やっぱり2人でケーキ2つは多すぎたかな」

お兄ちゃんは、いきなり話題を変えました。
なにか、話したくて、話せないことがあるのか、と思いましたけど、
無理に問いただすことはできませんでした。

「うん……美味しいけど、もうお腹一杯。
 ラップしておいて、明日また食べようか。紅茶でも飲む?」

「いいね。できたら、ブランデーを垂らしてくれると美味しいんだけど」

「どれぐらい?」

「たっぷり」

「ちょっぴりね」

わたしが紅茶を淹れに台所に立つと、チャイムがぴんぽーん、と鳴りました。
エプロン姿でドアを開けると、「メリークリスマス!」。UとVでした。

「……メリークリスマス。
 U、V、パーティーがあったんじゃないの?」

「途中で抜け出してきたんや。
 アンタの兄ちゃんの顔見ようと思ってな」

「お兄さん……

(続く)


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