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お兄ちゃんとの大切な想い出 連載201〜210

「お兄ちゃんとの大切な想い出」に掲載した連載201〜210(ここでの連載020〜029)を抽出したものです。番外編もあります。(管理人:お兄ちゃん子)

191〜200
201202203204205
206207208209210
211〜220

●連載201(ここでの連載020)●
2002年1月16日(水)21時00分

憮然とした表情のcさんに気圧されたのか、
いつも元気なUも、言葉を挟んできませんでした。

「とにかく、座ってください」

「お前、俺を馬鹿にしてるのか?」

Yさんがのんびりした声で、助け船を出してくれました。

「喧嘩腰になってないで、君も座ったら?」

cさんはYさんを睨みつけました。

「なにモンだアンタ。なんでココにいる?」

「なんだろうな……○○ちゃんの友達の兄貴、ってトコかな。
 ○○ちゃんのお兄さんとも、いっしょに遊んだことがある。
 ここにいるのは、君と同じで○○ちゃんが招待してくれたからだな」

声はのんびりしていても、Yさんの目は据わっていました。
いつもとぼけた様子なのに、こんな顔もできるんだ、と驚きました。

「もう注文してあるから、大人しくパフェを食べたほうがいい。
 お店の人がこっちを見てる。喧嘩始めたら警察呼ばれるよ?
 ここは上品な店だからね」

cさんは黙って、椅子にどっかと腰を下ろしました。
続いて片手をポケットに突っ込んだので、わたしは囁きました。

「ここは禁煙ですよ?」

cさんはわたしを見て目をみはりました。

「わたし、小学3年生の時、気管支炎になりました。
 今は治っていますけど、煙を吸ったら発作がおきるかもしれません。
 その時は、救急車呼んでくださいね」

cさんは宙を仰いで、ポケットから手を出しました。
発作が起きるというのは大袈裟でしたけど、
小3のとき気管支炎を患ったことと、タバコの煙で咳き込むのは本当でした。

柔らかい椅子に座って、高級そうな木のテーブルを囲みながら、
くつろぐのとはほど遠い、緊張した雰囲気が張り詰めました。

やがてウェイトレスさんが、チョコレートパフェを4つ持ってきました。
一口食べて、Yさんが「やっぱり美味いね、ここのパフェは」と言いました。

「兄ぃ、食べたことあったんか?」

「ああ、夏休みに○○ちゃんにおごってもらった」

「兄ぃ! ○○に払わせたんか? サイテーやでそれ」

「はぁ? あかんのか?」

「当たり前やん、そんなら今日は兄ぃが払わな」

「U……今日はお礼のために来てもらったんだから、
 お兄さんに払わせる訳にはいかないよ」

「う……それやったら、兄ぃの分は○○が払う、
 ○○の分は兄ぃが払う、ってことでどうや? 兄ぃも文句ないやろ?」

「あ、うん、俺はそれでいいよ。
 おごってもらってばっかりじゃ気が引けるしね」

「えっと……はい」

やっと3人が笑顔になりました。
パフェをスプーンでかき混ぜている、残りの1人にわたしは囁きかけました。

「cさん、美味しくないですか?」

「あのなぁ……ちょっと訊いていいか?」

cさんの声は小さく、どことなく元気がありませんでした。

「はい」

「これはなんかの嫌がらせか?」

「え? 違います。お礼のしるしです」

「ハァァァ……なぁ、俺、そんなにイケてないか?」

「……どういう意味でしょう?」

「俺に近づくと、女は恐がるか媚びるかなんだけどなぁ。
 お前はどっちでもない。ワケわかんねぇ」

「恐いです」

「ならなんで俺の言うとおりにしない?」

「恐いのと、言うことを聞くのは別です。
 人の言いなりになるのは嫌です」

「……似てないと思ったけど、そういうトコは△△さんにそっくりだな」

「そうですか?」

お兄ちゃんの名前を耳にして、わたしはcさんの目を見つめました。
cさんは探るような目で、わたしを見返しました。

「お前は、俺のコトどんな男だと思う?」

唐突な質問に、わたしは面食らいました。

「あの……わたし、男の人をよく知りませんので、比較の対象が」

「△△さんと比べて、でいい」

「ここで正直に言って、良いんでしょうか?」

UとYさんが、聞き耳を立てているような気がしました。

「あの2人はどこ行っても付いてくるんだろう?
 いいから言ってみな」

「そうですね……お兄ちゃんと比べると、笑い方がイヤらしいです」

「イヤらしい?」

「お兄ちゃんはにっこり笑いますけど、cさんは悪巧みしてるみたいです」

「…………」

「あと、デリカシーが無いですね。
 お兄ちゃんもタバコを吸ってるみたいですけど、
 吸ったり吸い殻捨ててるところを見たことがありません。
 わたしがタバコが嫌いなことを、知ってるんだと思います」

(続く)

●連載202(ここでの連載021)●
2002年1月17日(木)20時25分

「お前……きっついなぁ……」

cさんがたまりかねたように、声をあげました。

「ごめんなさい。嘘を言っても仕方がありませんから。
 脅しつけるような態度を改めたら、モテるようになると思います」

「脅しつける?」

「目を細めて、睨むような目つきのことです」

「これは……目が悪いせいだ」

cさんは、ポケットから眼鏡ケースを取り出して、眼鏡をかけました。
縁無しの眼鏡をかけると、別人のように見えました。

「そのほうが……真面目そうですし、可愛いです」

「バカヤロ。みんなそう言うから眼鏡しねぇんだ。笑うな」

cさんはすぐに眼鏡を外しました。

「わたし、笑ってません」

cさんの視線を追うと、Uが必死に笑いをこらえていました。

「U、笑うのは悪いよ」

「くくく……アンタの口のほうがよっぽど悪いで」

「そう? でも、どうしてコンタクトにしないんですか?」

「……目の中に入れるなんて気持ち悪いじゃねぇか」

「眼鏡もコンタクトもしないでいると、もっと悪くなりますよ?」

「わかったわかった……もういい」

cさんはわたしを無視して、パフェの残りを口に運びはじめました。
しばらくのあいだ、無言の時が流れました。

わたしがパフェの一番底をすくっていると、cさんが口を開きました。

「本ばっかり読んでるって聞いたけど、お前はコンタクトしてるのか?」

「両目とも2.0です。本は関係ないと思います」

「そうだな……俺はマンガしか読まないのに目が悪くなった」

「マンガならわたしも読みます。『セーラームーン』はご存じですか?」

「いや……そういうのは読んでない。アニメでやってるヤツか?」

「アニメは観ないので、よく知りません。
 『セーラームーン』は有名なので、ご存じだと思ったんですけど。
 ホントに好きなのは、伸たまきの『パーム』シリーズです」

「ぜんぜん知らねぇ……」

「少女漫画っぽくないですから、男の人が読んでも面白いと思います。
 主人公のジェームス・ブライアンは巨大シンジケートのボスの甥で、
 少年刑務所を出所して、私立探偵の助手になります。
 すごくクールで格好良いんです……」

cさんはわたしの話を聞いているのかいないのか、よくわかりませんでした。
4人ともパフェを食べ終えると、cさんはいきなり席を立ちました。

「俺、帰るわ」

「そうですか。パフェは美味しかったですか?」

「美味かった。この後どっかに誘おうと思ってたんだけどな。
 俺じゃ駄目みたいだ」

「どういう意味ですか?」

「お前のこと面白いと思ったんだけどな……なんつーか世界が違う。
 俺じゃ無理だ」

cさんはなぜか、苦笑していました。

「これ、俺の分」

cさんはテーブルに、お札を置きました。

「今日はわたしのおごりですよ?」

「男に恥かかせんなよ。最初からおごらせる気なかったし」

「あの……それだと足りないんですけど」

「なに?」

わたしが金額を言うと、cさんはお金を足しました。

「最後までキマらねぇな……」

cさんが立ち去って、わたしとUとYさんが残されました。

「先輩、案外あっさり引き下がったやん」

「そうだな……緊張したよ」

Yさんはホッとしたのか、だらしない顔になっていました。

「U、これからどうするの?」

「せっかくやから、このへんぶらぶらするわ。
 アンタもいっしょに来るやろ?」

「わたしはもう帰る。少し疲れちゃった。3人乗りはやっぱり恐いし。
 2人でゆっくりしていって」

わたしはVへのお土産のアップルパイを買って、書店に寄ってから、
1人でバス停に向かいました。
考えてみると、cさんに誘われるのも、スリリングで面白かったな、
と思いました。

心を波立たせることのない、平坦な日々が帰ってきました。
波乱は、次の腎炎の定期検診の日まで訪れませんでした。

その日、わたしは制服を着て、朝から病院行きのバスに乗りました。
制服を着ていたのは、午後から登校するためです。

診察の時間は5分ほどですが、その前に3時間ほど待たされます。
暇つぶしのための文庫本が鞄に入っていますが、
揺れるバスの中では読めません。酔ってしまいます。

窓の外を流れる街並みをぼんやり眺め、バスを降りました。
病院の玄関の手前まで来て、わたしは立ち止まりました。
向こうから来た女の人が、目の前で止まってわたしの顔を見たからです。

「あなた……○○ちゃん?」

女の人の顔を見ても、名前を思い出せませんでした。
でも、女の人が誰だかはわかりました。

(続く)

●連載203(ここでの連載022)●
2002年1月18日(金)20時00分

「お久しぶりです」

「久しぶりね! もう中学生になったのね。腎炎は良くなった?」

「はい。順調です。まだ運動はできませんけど、
 2年生になったら、体育の授業を受けられるようになります」

「良かったね〜。お兄さんは元気?」

「はい……でも、ごめんなさい。お名前を思い出せません。
 『いやじゃ姫』の、お母さんですね?」

「いやじゃ姫」というイメージが強烈すぎて、女の子の名前も出てきません。
わたしが決まり悪くて目を伏せると、意外にも弾んだ声が聞こえてきました。

「あの子のこと、覚えててくれたんだ。嬉しい……」

お母さんの明るさが伝染して、わたしも心が軽くなりました。

「はい。いやじゃ姫はお元気ですか?」

「あ……うん。2歳まで生きられないって言われてたのに、
 去年の夏、2歳の誕生日をお祝いしたの。
 親戚じゅうでお祝いしたら、あの子とっても喜んで……。
 新しい服着て、きゃっきゃっ笑ってた。
 あんなに元気ではしゃいだの、初めてだった……」

お母さんは、本当に嬉しそうに微笑みました。

「良かったですね」

いやじゃ姫が笑っているところを、わたしは見たことがありませんでした。
それでも、お母さんといやじゃ姫の純粋な悦びを、想像できました。

「うん、あの子もきっと嬉しかったと思う。
 わたしたちも嬉しかった。初めての子供だもの。
 お爺ちゃんお婆ちゃんには初孫だったし……。
 ……はしゃぎすぎたのかな?
 お誕生会から2週間して、季節外れの風邪をひいて……」

「え?」

「肺炎になって、一晩で逝っちゃった。あっけないものね」

そのあまりにも軽い口調に、わたしは凍りつきました。
重くなった舌を動かすのに、努力しなければなりませんでした。

「……いやじゃ姫……亡くなられたんですか……?」

「うん……それから、何ヶ月もボーッとしてた。
 なんにもできなくて、すっかり旦那に心配かけちゃった」

お母さんは、ぺろりと舌を出しました。

「でもね……泣いてても、あの子は喜ばないぞ、って言われて、目が覚めた。
 あの子は痛いって泣いて、イヤだって怒ってばかりだったけど、
 誕生日には綺麗に笑って、わたしたちをあたためてくれたのに。
 わたしが泣いてたんじゃ、あの子も旦那も悲しむもんね」

「…………」

わたしは、何か言わなくては、と思いました。
けれど、いくら探しても、この場に相応しい言葉など見つかりません。

「……ごめんなさい。
 わたし、なんて言っていいのか、わかりません」

「謝ること無いのよ。
 わたしこそごめんなさいね、こんな話しちゃって……びっくりしたでしょ。
 あの子のことを覚えていてくれる人が居て、舞い上がっちゃったみたい。
 あの子、ほとんど病院で暮らしてたし、出歩けなかったから、
 近所の人も覚えてないの」

「でも」

「でも?」

「そんなにお母さんに想われて、いやじゃ姫は、生まれてきて良かった、
 と思います」

「ありがとう。……あなたは泣かなくて良いのよ?」

話を聞いているうちに、いつの間にかわたしの瞳から涙がこぼれていました。
涙を流れるままにしていると、お母さんは白いガーゼのハンカチを出して、
目頭に当ててくれました。

「すみません。わたしだけ泣いちゃって……」

「ごめんね。ホントは、あの子のために泣いてくれる人が居て、嬉しいの。
 でも……やっぱり笑ってほしいな。
 あなたを見て、あの子が中学生になったところを想像しちゃった。
 想像の中でも、あの子が泣き顔だと悲しいもの」

「はい……」

わたしはお母さんの沁み入るような笑顔を見返して、微笑んで見せました。

「そうそう、やっぱり子供は笑ってなくちゃ。
 あ、ゴメン、中学生はもう大人ね。
 引き留めちゃってごめんなさい。これから診察券出すんでしょ?」

「あ、はい。お母さんは?」

こんな時間に、病院から出てくるなんて、何をしていたのだろう、
と思いました。

「ずっと家に居ると、ふさいじゃうから、病院のお手伝いをしているの。
 ヘルパーってやつ。今は患者さんのお使いで、下のお店に行くところ。
 これでもヘルパーさんの中では一番若いんだよ」

お母さんは「じゃあね」と手を振って、小走りに歩いて行きました。
病棟も聞きませんでしたけど、この病院に通っていれば、
またいつか会えるだろうと思いました。

わたしは少し遅れて診察券を出し、検尿のコップを検査に回しました。
いつもは待ち時間を待合室で本を読んで潰すのですが、
今日は読書する気にはなれませんでした。

わたしは、1年前に入院した小児科病棟を訪れることにしました。

(続く)

●連載204(ここでの連載023)●
2002年1月19日(土)18時24分

外来でわたしは毎月一度は病院を訪れていましたけど、
小児科病棟へのエレベーターに乗るのは久しぶりでした。

磨かれた廊下と手すりは、変わったようには見えませんでした。
でも、ナースステーションに貼ってある、子供の描いた絵や壁新聞は、
すっかり入れ替わっていました。

壁新聞に書かれた子供たちの名前には、1つも見覚えがありません。
ナースステーションに詰めている看護婦さんも、知らない人でした。

「あなたお見舞い? 今日はまだ学校あるんじゃないの?」

「外来です。去年、わたしもここに入院してました。
 久しぶりに見に来ただけです」

「あ、そうなの。わたしは今年入ったばっかりだから」

わたしは一礼して、エレベーターの前に戻りました。
わたしの居た痕跡は、もうここには残っていないようでした。

ふと、入院していた時に食堂の窓から見えた、紅葉を思い出しました。
紅葉の時季には早すぎましたが、食堂に行ってみることにしました。

食事の時間ではないので、食堂には人気ひとけがしませんでした。
開いたままのドアを抜けて、わたしは中に入りました。
そして、大きな窓越しに見えた光景に、立ち尽くしました。

紅葉どころか、木々そのものが、裏山の半分が、無くなっていました。
削り取られたように切り立った、剥き出しの茶色い土が露出していました。
窓枠に手をかけて、よく見ると、平らにならされた地面には、
コンクリートで土台のようなものが造られていました。

「ちょっと。あんた誰?」

後ろから声をかけられて、びくっとしました。
振り返ると、見覚えのある賄いのおばさんでした。

「あんた、前にここに居た子だね。顔覚えてるよ。また入院?」

「いいえ、今は通院です。今日は久しぶりに病棟を見に来ただけです。
 入院中はお世話になりました」

「そうかい、元気になって良かった。何見てたの?」

「裏山の木を見ようと思ったんですけど……」

「ああアレね。裏山潰しちゃって勿体ないことするもんだよ。
 いい眺めだったのにねぇ。
 せっかく来たのに、見るモンなくなっちゃったね」

「ホントに……」

わたしはおばさんに一礼して、エレベーターホールに戻りました。
エレベーターが来るのを待ちながら、物思いに耽りました。
思い出の風景は消え去り、わたしを覚えている人も少なくなっていきます。

そうだ、屋上がある、と思いました。
屋上からの眺めは、そんなに変わっていないはずです。

わたしはエレベーターに乗り込んで、屋上行きのボタンを押しました。
屋上で降りると、少し風がありました。
並んだ物干し竿に、たくさんの洗濯物が揺れていました。

フェンスのそばに歩み寄り、遠くの街を眺めました。
1年前と変わっているのかいないのか、区別がつきませんでした。

フェンスの網を握りしめて、わたしは思いました。
人の想いって、なんなんだろう、と。

いやじゃ姫の顔や声は覚えているけど、名前は忘れてしまった。
いつか、顔も名前も記憶の中で薄れていくのだろうか?

いやじゃ姫のお母さんや賄いのおばさんは、わたしの顔を覚えていた。
でも、いつかは忘れて、会ってもわからなくなるのだろうか?

鮮明に思い浮かべることのできる、お兄ちゃんの顔も声も、
ずっと離れていたら、いつの日かあやふやになってしまうのだろうか?
わたしのことを、まだお兄ちゃんははっきりと覚えているだろうか?

時の流れが、あらゆるものを押し流していくような気がしました。
百年経ったら、わたしもお兄ちゃんも生きてはいません。
わたしとお兄ちゃんを覚えている人も、居なくなっているでしょう。

広すぎる孤独な宇宙で、自分が一粒の砂になったようでした。
中学生にはありふれた感慨なのかもしれませんが、それが実感でした。

風で体が冷えてきたので、わたしはフェンスから離れました。
待合室に降りると、わたしの順番はまだ先でした。
わたしは何をする気にもなれず、ただ窓の外の並木を眺めました。

その日の検査の結果には、特に問題がありませんでした。
それから登校して、午後の授業を受けました。
少し疲れていたので、机にうつぶせになって、半分ぐらい寝ていました。

放課後は、Uたちと寄り道しないで、まっすぐ帰りました。
独りで夕食を済ませたあと、わたしは電話機の前に座りました。

お兄ちゃんに電話をかけるのは、めったにない事でした。
お兄ちゃんが出てくれるかどうか、どきどきと胸が高鳴りました。

「はい。××です」

お兄ちゃんの声でした。

「お兄ちゃん? わたし、○○」

「お前か? 珍しいな、電話してくるなんて。何かあったのか?」

かすかに心配そうな響きがありました。

「なんでもない。今日、病院に行ったけど、順調だった。
 入院してた時に同じ病室だった、女の子のお母さんに偶然会った。
 わたしのこと覚えててくれた」

「そうか、良かったな」

「わたしはその子の名前忘れちゃったのにね……。
 お兄ちゃん……わたしのこと、忘れないでね」

(続く)

●連載205(ここでの連載024)●
2002年1月20日(日)19時20分

電話越しにでも、わたしの声の真剣さは、伝わったようです。
揺るぎないお兄ちゃんの声が、返ってきました。

「なに言ってるんだ? 俺がお前のこと、忘れるわけないだろ?」

「でも……ずっと会わないと……きっと、わたし、忘れちゃう。
 お兄ちゃん、自分のこと、あんまり話してくれないでしょ?
 お兄ちゃんにどんなお友達が居るのかも、わたし知らない」

「ん……ああ、 俺の話なんか、聞いても面白くないと思ってな。
 今度帰った時、ゆっくり話すよ」

「ホント? 楽しみ。お兄ちゃん、冬休みに帰ってくる?」

「ああ、なるべく早く帰る」

その時、去年のクリスマスイブのことが、脳裏に蘇りました。
そうです……お兄ちゃんはモテるのです。

Sさんとは別れたとしても、高校に入ってから今まで、
お兄ちゃんに彼女ができていないとは、信じられませんでした。

「クリスマスは……無理?」

「う〜〜ん、それはまだわからないな……」

予想どおり、お兄ちゃんの声が困ったように濁りました。

「どっちにしてもクリスマスケーキは俺が用意するよ。
 イチゴ生クリームとチョコレートと、どっちがいい?」

「う〜〜ん……」

今度はわたしに難題が突きつけられました。
イチゴ生クリームケーキも、チョコレートケーキも、大好きでした。

「まぁ、まだクリスマスまでたっぷり日がある。
 それまでに決めればいいか。
 学校行事も、定期テストや文化祭や体育祭があるだろ?」

「テストは……まだ1年だから、簡単すぎるよ」

「相変わらず百点満点ばっかりか?」

「ケアレスミスがあるから、満点ばっかりじゃない。
 平均すると98点ぐらいかな?
 お兄ちゃんは?」

「う……お前は相変わらずだな。
 俺のほうは……なんとかクラスでは上位ってところだ。
 勉強する暇がなくてなぁ」

「お兄ちゃんは人気者だから、忙しいもんね」

「体育祭は、まだ無理か?」

「うん。今年は見学だけ。
 出られても、体動かしてないから、きっとビリだよ。
 日射しを避けるために、テントに入れてくれるみたい。
 お兄ちゃんは?」

「俺はいろいろ出場するよ。リレーのアンカーだしな」

「見たいなぁ……」

「1着でゴールしてるところを、誰かに写真撮ってもらうよ。
 陸上部の速いやつが出てこなけりゃ楽勝だ。
 文化祭にはお前も出られるんだろ?」

「うん。うちのクラスは劇に決まった」

クラスでの参加は、劇・合唱・展示の中から1つ選ぶことになっていました。
劇は一番準備に手間暇がかかるので、敬遠されがちでした。

「へぇ。すごいな。お前はどんな役だ?」

「わたしはよく休むから、役はないの。
 当日に欠席するかもしれないから。わたしは大道具。
 背景の書き割りを描くことになってる」

「そうか……でも、クラスで1つのことをするんだから、面白いぞ」

「うん。予算が少なくて、背景を描くベニヤ板が足りなくなりそう。
 今度の会議までに、どうするか考えておくことになってる」

「裏方でもいろいろ大変だからな……。
 どんな劇なのかしっかり観ておいて、後で教えてくれよ」

「うん。ちゃんと観ておく」

お兄ちゃんの声を聞いているだけで、胸が一杯になりました。
長く話しているうちに、受話器を強く握りすぎて、
手のひらに汗をかいていました。
受話器を耳に押しつけているので、耳まで熱くなりました。

ひとしきり話し終えると、無言の時が流れました。
不快な沈黙ではなく、電話越しに空気がつながっているようでした。

「あ……」
「○○」

声が重なりました。

「あ、なんだ?」

「お兄ちゃんこそ、なに?」

わたしのほうには、これといって話すことがありませんでした。

「いや……お前の声が元気になってきたな、と思ってさ。
 電話かけてきた時は、沈んでただろ?
 やっぱりなんかあったんじゃないのか?」

「うん……でも、もう良い。わたしはだいじょうぶだから。
 『いやじゃ姫』のお話、今度してあげる」

「いやじゃひめ……なんだそりゃ? まぁ、楽しみにしてるよ」

「おやすみなさい、お兄ちゃん」

「おやすみ」

受話器を置いて、わたしは心が平静になっているのを自覚しました。

人は何もかも、いずれ忘れてしまうものだけど、
生きている限り、忘れる前に、新しい想い出を作れば良い、と思いました。

お兄ちゃんとわたしが2人とも死んでしまったら、
想い出も消えていくけど、それは仕方のないことなんだ、と思いました。

(続く)

●連載206(ここでの連載025)●
2002年1月21日(月)18時00分

おそらくはこの時期が、わたしの人生で、最も平穏な一時ひとときでした。
友達が少なくて、激しい運動ができないほかは、ふつうの中学生だったと思います。

体育の授業はずっと見学でしたけど、適度な運動は禁止されていませんでした。
主治医のO先生は、体力をつけるために散歩しなさい、と勧めてくれました。

問題は、もともとわたしには基礎体力がまるで無かった、ということです。
感染症が一番恐いので、朝起きて少しでも喉が痛むと学校を欠席しました。

担任には診断書を提出していましたので、不登校とは見られませんでしたが、
クラスメイトたちからは、不審の目で見られていたかもしれません。

登校した日でも、授業中は机に顔を伏せているのが、いつものことでした。
居眠りしていたわけではないので、指名されると立ち上がって答えました。

休み時間になって、Vが不思議がって訊いてきました。

「○○ちゃんは寝てるのにどうして答えられるのー?」

Uがもっともらしく口を挟みました。

「それは睡眠学習っちゅうやつや。
 寝てるあいだに聞いたコトは忘れへんらしいで」

「ふーーん。わたしにはムリだよー。すごいねー」

Vはあっさり信じ込んで、感心しているようでした。
わたしは訂正する気にもなれず、話題を変えることにしました。

「文化祭の準備、進まないね」

「毎日放課後会議してるちゅうのに、やっと配役が決まったとこやからなぁ。
 こんなんでホンマに間に合うんかいな?
 アンタも体がしんどいんとちゃう? 最近休み多いやん」

「なんとかやってる。わたし、もともと体力ないから。
 授業出てないと、ノートが取れなくて困るね」

「授業出ててもアンタ寝てるやん」

「寝てないよ。時々起きてメモしてる」

わたしのノートは、極端に凝縮されたキーワードだけを連ねたような、
謎の暗号めいたものになっていました。

「でも、そろそろ台本が上がらないと、準備が進まないね」

Uとわたしは2人とも大道具係でした。
監督・脚本・照明・役者といった主要スタッフからすると重要度は落ちますが、
文化祭当日までに背景が完成していないと困ります。

「aを監督にしたんは失敗やったかなぁ」

Uが愚痴をこぼしました。

クラスで劇を選択したのは、女子のリーダーであるaの提案だったので、
仕切りたがるaに監督兼脚本という大役を任せたのですが、
肝心の脚本がなかなか完成しませんでした。

「Vも台詞覚えなくちゃいけないのにね」

「うん……ぜんぶ覚えられるかなー?」

Vは自信がなさそうでした。劇の主役のお姫様役は、Vなのです。

「だいじょうぶだよ。
 クラス当たりの持ち時間は制限されてるんだから、
 そんなに長くならないでしょ?」

ところが想像とは違って、放課後に配られた台本に目を通したわたしたちは、
顔を見合わせることになりました。

「これ、どない思う?」

「ちょっと待って。通して読んでみるから……」

読み終えたわたしは、声を低めてUとVに囁きかけました。

「お話としては、悪くないと思う。
 意味を取りにくいけど、ファンタジーだしね。
 でも……長すぎる」

「アンタもそう思うか?」

「うん。台詞が長すぎるし、場面も多すぎる。
 これじゃ持ち時間の2倍はかかっちゃう。
 こんなに場面転換が多かったら、背景のベニヤ板がぜんぜん足りない。
 クラスの制限時間を過ぎたら、本番では打ち切りでしょ?
 途中で終わったら、ぜんぜんワケわからなくなる。
 誤字が多くて、意味が通じない文もあるし……」

「どうしよー?」

Vは台本の長台詞を覚えようとして、もう泣きそうでした。

「せやけど、担任も担任やな……国語教師のくせに、
 こんな台本通すな!っちゅうねん」

「予定より遅れてたから、チェックしてる暇が無かったんだと思うよ。
 でも、このまま行ったら、劇にならないね……。
 大急ぎで、台本書き直してもらわないと」

「そんなに急にできるんか? 台本上げるだけで遅れてんのに」

わたしは天井を仰ぎました。

「無駄なところを削って、誤字を直すだけなら、わたしにもできると思う。
 でも、わたしたちが言っても、素直に直してくれるかな?」

「そんならわたしが担任に言うてくるわ。
 担任から言われたらaも直さなしゃあないやろ。
 担任にもちっとは責任取ってもらわなアカンしな」

「そうだね。
 V、そんなにあわてて台詞覚えなくて良いよ。
 どうせ台詞変わると思うから。
 わたし、これから家に帰って、台本直してくる。
 明日までにはなんとかするよ」

「アンタの役と違うのに、ムリしたらアカンで?」

「そうだけど、このままじゃ大道具の役もできないし、
 Vのお姫様姿、見たいもん」

(続く)

●連載207(ここでの連載026)●
2002年1月22日(火)21時10分

担任に話をするために、職員室に向かうUとVに別れを告げて、
わたしは足早に帰り道を急ぎました。

家事を簡単に片付けて、さっそく赤ペン片手に机に向かったものの、
そこから先が難題でした。

冗長な台詞を短くして、場面を整理するといっても、
前後のつながりがおかしくならないように朱を入れるのは、
そう簡単な仕事ではありません。

何度も何度も台本を読み返して、意味の薄い場面転換を削り、
台詞を書き直し、誤字を修正しているうちに、時間の経つのを忘れました。

台本のページが真っ赤になって、やっと終わった……と我に返り、
わたしは自分が恐ろしいほど空腹なのに気づきました。

いつの間にか、もう、真夜中になっていました。
背筋を伸ばそうとすると、固まった背筋と首がごきごき悲鳴をあげました。

立ち上がると空腹のあまり、目がちかちかしました。
何か食べなくては……と、台所に行って、お茶漬けを作りました。

お風呂にも入らず、パジャマに着替えてベッドに入りました。
あっという間に眠りに落ちて、目が覚めたら遅刻ぎりぎりの時間でした。

朝ご飯を食べたり、お弁当を作っている暇はありません。
わたしは牛乳を1本飲んで、家を出ました。

学校に着くと、UとVが教室で待っていました。

「U、おはよう。これ」

鞄から台本を取り出して手渡しました。

「もうできたんか?」

「うん……わたし、眠いから、保健室で寝てくる」

教室に鞄だけ置いて、わたしは保健室に向かいました。
保健室の先生は、入学以来の顔なじみです。
疲れたときや眩暈を起こした時に、よくベッドを借りていました。

「××さん、朝から気分悪いの?」

「はい。学校に着いたら眩暈がしてきて……。
 ベッドに横になってよろしいでしょうか?」

寝不足だということは黙っていましたが、嘘はついていません。

「目が赤いね。夜更かししてない?」

あっさり見抜かれていたようでした。

「……どうしても、しなければいけないことがあって……」

「勉強もほどほどに、ね。体壊したら元も子もないよ。
 あなたは体強くないんだから」

「はい」

わたしはこそこそと、真っ白いベッドにもぐり込みました。
家で寝る時とは違って、遠くからざわめきが聞こえてきます。
消毒薬のにおいもしますが、気にはなりません。
自宅にいる時より、かえってホッとしました。

うとうとしているうちに昼休みになり、UとVがやってきました。
わたしはベッドの上で、体を起こしました。

「○○、だいじょうぶか?」

「うん……もう頭痛くない」

「朝は顔色悪かったで。だいぶマシになったやん。お昼はどないする?」

「寝てたから、あんまりお腹空いてない。朝、お弁当作る暇なかったし。
 購買でパンと牛乳買おうかな」

「わたしのお弁当半分あげるよー」

Vがお弁当の包みを解きはじめました。

「……ここで食べても良いのかな?」

机で何か書き物をしていた先生が、口を挟みました。

「大きな声を出さないならね。急病人が来たら、話は別だけど」

「はい」

丸椅子を持ってきて、UとVがベッドの脇に腰を下ろしました。

「台本のことやけどな。担任に渡したら、あれでOKやて。
 ようできてるてビックリしてたで」

Uは自分のことのように、得意そうに語りました。

「そう、良かった」

「そやけど、台本にはaとアンタの名前を並べる言うてた。
 aが恥かかされたいうて逆恨みせんかったらエエけどな……」

「え?」

それは予定にありませんでした。

「わたしの名前は、出さないほうが良いと思うけど……」

「わたしもそう言うたんやけどな……。
 教師が露骨に出し物の手助けしたらアカンらしいわ。
 台本が半分になったら、ほとんど別物やん。
 劇は投票でグランプリ決めるから、
 他のクラスから不公平やて難癖つけられるかもしれへん」

「困ったね……。直しててわかったけど、書き直すより、
 一から書くほうがずっと大変。
 書いた人からしたら、自分の文章が人に切り刻まれてるみたいで、
 気分悪いと思う」

「担任がアンタの見舞いに来る言うてたから、
 話してみたらどないや?
 どうせ昼休み終わるまでここにおるんやろ?」

「うん」

お弁当を食べ終わった頃に、担任が保健室に入ってきました。

「××さん、大丈夫? 徹夜したって聞いたけど」

どうも、Uが脚色して話していたようです。

(続く)

●連載208(ここでの連載027)●
2002年1月23日(水)14時00分

「徹夜はしていません。夜更かししただけです」

「そう? あなたは無理が利かない体なんだから、気をつけなくちゃ」

「はい」

「それにしても、驚いた」

「はい?」

「よく一晩であれだけ直せたものね。
 正直困ってたんだ。aさんに直してもらう時間はなさそうだったもんね。
 さっそく台本刷り直して前のと交換するつもり。
 今度のにはちゃんとあなたの名前も載せるからね」

「あの……それ、困るんですけど」

「え? どうして?」

「目立ちたくないんです」

「××さん、もっと積極的にならなくちゃ。
 病気だからって引っ込んでちゃ駄目。
 あなたは抜群に成績が良いのに、授業中手を挙げないでしょ。
 みんなにあなたのこと知ってもらう良いチャンスだと思うよ」

先生は、わたしの引っ込み思案が、前から気になっていたようです。

「でも……せっかく書いた脚本を、勝手にわたしが直して、
 aさんは、屈辱を感じるんじゃないでしょうか?」

「aさんは脚本書き上げるのにずいぶん苦労してたもんね。
 でも、あの脚本のままじゃどうにもならなかったんだし、
 aさんも感謝するんじゃないかな?」

どうやら、先生はaさんの裏の顔を、まったく知らないようでした。
aさんが先生の前で猫を被っているのか、先生の性格が豪快なのか……。

まさか、aさんは負けず嫌いだからきっと逆恨みしてくる、
とは言えません。わたしは弱り切ってしまいました。
UもVも、渋い顔をしています。

顔をしかめて黙り込んだわたしに、先生が妥協案を持ち出しました。

「そうねぇ……そんなに気になるんだったら、
 わたしが無理を言ってあなたに書き直してもらったことにしようか。
 あなたは学年一国語の成績が良いんだから、頼んでも不思議じゃないし」

わたしは意外なことを言われて、思わず聞き返しました。

「あの……テストの問題が簡単すぎるんじゃないでしょうか?
 あれなら、満点取れる人は多いと思いますけど」

今度は先生のほうが、呆れた顔になりました。

「……あのねぇ。数学ならともかく、国語で満点取るのは珍しいよ?
 一夜漬けじゃ通用しないしね。こっちが秘訣を聞きたいくらい。
 あなた、月に何冊ぐらい本読んでる?」

「えーと、40冊ぐらいです」

「よんじゅう!?
 わたしも読書量は多いほうだけど、わたしの倍は読んでるじゃない。
 よくそんな時間があるね」

「わたしは先生と違って、仕事してませんから、暇はあります」

「……Uさんは、月に何冊ぐらい読む?」

「わ、わたし? えっと……マンガしか読んでません」

「Vさんは?」

「えーとー、3冊ぐらいですー」

Vは恋愛小説とファンタジーが好きでした。

「やっぱりね。地道に本を読むのが一番か……」

昼休み終了の予鈴が鳴りました。

「じゃ、そういうことで行くから、××さんはビシッとしてなさい。
 午後の授業は受けられる? また放課後にね」

先生はせかせかと保健室を出ていきました。

「○○、いっしょに教室行くか?」

「うん……でも、先のこと考えると、頭痛いね」

「悪いセンセやないねんけどなぁ……。aに目ぇつけられるかもしれんな。
 ○○は1人になったらアカンで? わたしやVといっしょにおり」

「Uちゃんといっしょなら安心だよー」

「うん、ありがと」

身近に味方が居るのが、心強く感じられました。

放課後になって、クラスで文化祭の準備会議が開かれました。
先生は配った台本を回収し、新しい台本を配布しました。
ざわめくクラスメイトたちに、先生が説明しました。

「前の台本も良く出来てたけど、ちょっと長すぎたみたい。
 時間がなかったから、監督として忙しいaさんの代打として、
 ××さんに書き直しをお願いしました。
 ××さん、立って。
 みんな、たった一晩で仕上げてくれた××さんに拍手」

わたしがしぶしぶ立ち上がると、不揃いな拍手の音がしました。
aさんは前の休み時間に職員室に呼び出されて、
先生から言い含められていたらしく、異議は唱えませんでした。

それでも、振り返ったaさんの、燃え上がるような瞳を見ると、
わたしはずーんと心が重くなりました。

全体の打ち合わせが終わって、係ごとに教室の中で分かれました。
Vはaさんたちといっしょに台本の読み合わせです。
その中には、b君も居ました。b君は勇者の役なのです。

わたしとUは、他の大道具係の男子たち3人と輪を作りました。
Uが話を振ってきました。

「台本がみじこうなったんやから、背景のベニヤ板は足りるんやな?」

「まだ足りない」

「なんやて?」

(続く)

●連載209(ここでの連載028)●
2002年1月23日(水)19時00分

「場面転換は4回。1幕目と5幕目、2幕目と4幕目の背景は共通だから、
 必要な背景の数は3幕分になる。これ以上は削れなかった。
 でも、大きな背景を作ろうとしたら、ベニヤ板は2幕分しかない」

Uが顔をしかめました。

「どないするん?」

美術部員の男子が、うーんとうなって言いました。

「背景をベニヤ板の両面に描いたらどうかな?」

「無理。ベニヤ板をつなぎあわせるのに、裏を角材で補強しなくちゃ。
 角材が見えないように、裏にもベニヤ板張らなくちゃいけなくなる。
 それじゃ、両面に描く意味がない」

「それなら、背景を小さくするしかないか……」

「背景が小さいと貧弱になる」

Uがキレました。

「そんならどないせーちゅーねん!」

「あのね……話を最後まで、聞いてくれる?
 わたし、話すの遅いから、じれったいと思うけど……」

「なんかアイデアあるんか?」

「うん。昨夜考えた」

わたしはノートを取りだして、余白に図を描きました。
口で説明しても、すんなり理解してもらえそうになかったからです。

「いい? 背景の板を、真ん中で上下に分割する。
 そして、上下の板を、針金で絵本みたいに綴じるの。
 表紙を含めて、8ページしかない絵本だと思って。
 後ろに支柱を立てて、それを上から吊す。
 1幕目では、下に1枚、上に3枚の板がある。
 3枚の板の2枚は、一番後ろの板に、フックかなにかで留めてある。
 絵本の2ページ目と3ページ目が見えている状態ね。
 2幕目では、上の板を1枚下にめくって下ろす。
 そうすると、4ページ目と5ページ目が見える。
 3幕目では、もう1枚上の板をめくる。
 今度は、6ページ目と7ページ目が見える。
 4幕目では、下ろした板を1枚めくって上げる。
 2幕目と4幕目は共通だから。
 5幕目でも同じ。
 こうすると、2幕分のベニヤ板で、3幕分の背景が描ける。
 大きな1枚の背景に描いた場合と違って、場面転換も数秒でできる。
 狭い舞台の上で、大きな背景を入れ替える必要がないから」

男子の1人がうなずきました。

「なるほど……××さん、よく思いついたなぁ。
 どのクラスでも予算は同じだから、うちのクラスだけ背景を増やせるね。
 設計図描いてくれたら、大工仕事は男子でするよ」

男子2人が支柱を作っているあいだに、
男子の中で唯一の美術部員がベニヤ板に下絵を描いて、
わたしとUは指示に従って色を塗るという分担になりました。

「○○、しばらく暇やなぁ。Vんとこ冷やかしにいかへん?」

「邪魔にならないかな?」

「かめへんかめへん。ほら、他にも野次馬がぎょうさんおる。
 そんなんでアガっとったら、本番どころやないで」

Uにうながされて、読み合わせをしている輪に近づきました。
その周りでは、手持ちぶさたなクラスメイトが見物しています。

わたしたちが近寄ってきたのに気づいて、aさんが一瞬だけこちらに目を向け、
すぐにそっぽを向きました。
b君は、一度もこちらを見ようとしませんでした。
Vは台本を読むのに一生懸命で、周りが見えていないようでした。

Uがつぶやきました。

「特訓が必要やな……」

「そうね……」

Vの台詞回しは棒読みそのものでした。
おまけに、語尾を伸ばすクセがぜんぜん直っていません。

やがて下校時刻になって、解散することになりました。
わたしが鞄に宿題のプリントを詰めていると、
aさんがすっと近づいてきて、すれ違いざまにつぶやきました。

「これで勝ったと思わないでね」

刺すような敵意の籠もった言葉でした。
わたしは棒立ちになって、aさんを見送りました。

Uが来て尋ねました。

「なんかaに言われたんか?」

「これで勝ったと思うな、ですって」

「フン、助けてもろといて、それしか言えんのかいな?」

aさんに感謝されるとは、わたしも思っていませんでした。
それにしても……勝ち負けなんかどうでも良いのに、
どうしてaさんが対抗心を燃やしているのかわからず、げっそりしました。

「つかれたよーー」

Vが駆け寄ってきて、3人で帰ることになりました。
Uがニヤリと笑いました。

「V、日曜学校の後も、教会で演技の特訓しよな。
 あんな演技じゃ本番で恥かくで」

「ええーーっ!」

当分、賑やかで慌ただしい日々が続きそうでした。

(続く)

●連載210(ここでの連載029)●
2002年1月24日(木)19時50分

次の日曜日、日曜学校が終わって子供たちを帰した後、
教会の建物の2階で、3人が輪になりました。

「Uちゃ〜ん、うちに来てやろうよー。お菓子もあるよー?」

「あかん。Vんとこやと邪魔が入るしな。
 ……それに、最近Vんでしょっちゅうご馳走になってるやろ?
 どうせ行ったら晩ご飯食べて帰ることになる。
 たかりに行くみたいで悪いやん」

「Uが遠慮するなんて……どこか悪いの?」

「どういう意味やねん!
 まあ……兄ぃに注意されたのもあるけどな」

わたしもVも驚きました。

「Uのお兄さんがUに注意するなんて……珍しい」

「そんなことないで。
 ピアスの穴あけよかな、て言うたら、やめてくれって泣いて頼まれたわ」

「お兄さん、ホントに泣いたの?」

「それは……ちょっとオーバーやけど」

「お兄さんは心配してるんだよ。羨ましい」

「○○の兄ちゃんかて過保護とちゃう?」

「そうかもしれないけど……ふだん居ないでしょ?」

「ま、そらそうやけど……」

ふとVを見ると、にへら〜と顔が崩れていました。

「V、どうしたの?」

「おにーちゃんも、わたしがお化粧しようかな〜?って言ったら
 まだ早すぎるからダメって言ってくれたのー。
 やっぱりわたしが心配なんだよねー?」

Vののろけ話に、付き合っている暇はありません。

「はいはい、台本の読み合わせしましょ」

始めてみると、Vの演技は、学校で聞いたときよりずっと上手でした。
Vは暗記は得意なんだ、と思い出しました。

「こないだよりめっちゃ上手いやん。隠れて特訓したんか?」

「そんなことないよー。人がたくさんいるとダメなのー」

「本番はあんなもんやないで? 体育館に人が集まるんやから。
 どうせ『おにーちゃん』も呼んでるんやろ? 頑張らな」

「うぅー」

Uの話によると、Vは小学校の頃からいろいろ習い事をしているのに、
発表会になるとさっぱり実力を出せないのでした。

「人がいっぱい見てると、頭の中が真っ白になっちゃうのー。
 台詞わすれちゃわないかなー?」

「V、舞台の袖でUもわたしも見てるから、
 わたしたち3人だけだと思ってやれば良いよ。
 台詞忘れそうだったら、舞台の袖から教える」

やがて日にちが進み、衣装係が縫ったドレスが出来てきました。
教室で白いひらひらしたドレスを着たVは、本物のお姫様のようでした。

間近から見ると、生地が安物なのがわかってしまいますが、
舞台に立って照明を浴びれば、素晴らしく映えるはずです。

背景のパネルも、形になってきました。
構造が複雑な割に、予算不足で補強に細い角材しか使えなかったのが、
不安材料でしたけど。

忙しい毎日が、飛ぶように過ぎて行きました。
小学校の時より、時間の進み方が速くなったような気さえしました。

文化祭当日の朝、最後の打ち合わせがありました。
わたしの役目は、もうほとんど残っていません。

大道具として使う背景のパネルや椅子や机は、男子が運んでくれます。
背景のパネルを幕間にめくるのは、俊敏なUの役目でした。

打ち合わせの後、わたしとUはVに駆け寄って、手を握りました。

「練習通りにやったら楽勝やで、頑張り」

「少しぐらいトチっても、誰も気づかないよ。気楽にね」

Vの顔は少しこわばっていましたが、手を握り返してくれました。

「2人のおかげだよー。がんばるねー」

まだドレスを着ていないのに、紅潮したVの顔は見惚れるほど綺麗でした。

事件はこの後、大道具を運んでいる時に起きました。
男子が3人がかりで背景のパネルを体育館に運ぶ途中、
階段でバランスを崩して、パネルを落としてしまったのです。

大道具係が全員、踊り場に落ちたパネルに殺到しました。
パネルは無惨にも、支柱のつなぎ目の所が折れて、くの字になっていました。

落とした男子はもちろん、わたしやUも顔面蒼白になりました。

「俺、俺……」

「固まってる場合やないやろ! 本番まで1時間しかないで。
 それまでになんとかせな!」

とりあえず、体育館に運び込んで、応急修理することになりました。
折れた支柱の両側に添え木を当てて釘を打ち、
丸めた段ボールとガムテープで補強しました。

「これでなんとかなるやろか?」

もともと強度に不安があったのに、修理した部分は余計に頼りなく見えました。

「パネルをめくる時が、危ないと思う。
 劇の途中でパネルが折れて倒れたら、劇がめちゃくちゃになる」

(続く)


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