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お兄ちゃんとの大切な想い出 連載181〜190

「一番身近な異性・兄弟姉妹の想い出〜Part8」に掲載した連載181と、「お兄ちゃんとの大切な想い出」に掲載した連載182〜190(ここでの連載001〜009)を抽出したものです。番外編もあります。(管理人:お兄ちゃん子)

171〜180
181182183184185
186187188189190
191〜200

●連載181●
2001年12月20日 21時22分 初出(「一番身近な異性・兄弟姉妹の想い出〜Part8」581-582,585-587)

朝になって、お兄ちゃんの囁くような声で起こされました。

「○○」

頭を起こすと、お兄ちゃんは床に座り込んでいました。

「なんでお前まで、ここで寝てるんだ?」

お兄ちゃんのしかめっ面を見て、反射的に正座して謝ってしまいました。

「ごめんなさい」

「あ、いや、別に謝らなくていい……。
 ベッドで寝ないと、風邪引くぞ?」

「……お兄ちゃんは、風邪引いた?」

「俺は丈夫だからこれぐらい平気だけどな……。
 ああ、顔しかめてるのは、ちょっと頭痛いだけだ。心配ない。
 走ってきて、シャワー浴びれば治る」

静かに言って、お兄ちゃんは立ち上がりました。

「じゃあ、わたしは朝ご飯の支度してる」

「お前は寝てていい」

そう言い残して、お兄ちゃんは階段を上がっていきました。
わたしは今さら、眠れそうにありませんでした。

わたしも自分の部屋に戻って、枕とタオルケットを元に戻し、
着替えをしました。

お兄ちゃんの態度が、いつもと違うように思えました。
二日酔いのせいだったのかもしれません。

お兄ちゃんが部屋を出て、階段を下りていく気配がしました。
見送らないと、と思いながら、足が床に吸い付いたように、動きません。

玄関のドアが閉まる音を聞いてから、わたしは部屋を出ました。
台所に下りて、機械的に食事の支度をしました。

お兄ちゃんを待つあいだ、焦れったいほどゆっくりと時間が流れました。
お兄ちゃんが帰って来たとき、わたしが何を考えていたかはわかりません。

物音でびくっとして、考えはどこかに飛んでいってしまいました。
わたしはダイニングで座ったまま、お兄ちゃんが来るのを待ちました。

「○○、おはよう。まだ挨拶してなかったな。
 もうご飯食べられるのか」

「お兄ちゃん、おはよう。もう、出来てる」

わたしは立ち上がって、ご飯をよそいに行きました。
お兄ちゃんの態度は、いつもと変わりないように見えました。

わたしは自分の声の抑揚が、おかしくなったような気がしました。
動作もおかしくないか、と考えると、ますますぎこちなくなりそうでした。

ご飯を食べながら、お兄ちゃんが話しかけてきました。

「○○、今日は暇か?」

宿題を済ませたわたしは、いつも暇でした。

「うん」

「じゃあ、どっか行くか?」

「うん、どこに?」

「○○は行きたいとこないのか?」

「どこでも良い」

お兄ちゃんと一緒に居るだけで、空気が張り詰めているようでした。
自分の心臓の音が、どくんどくんと胸で響きました。

お兄ちゃんが「う〜〜ん」と困ったような表情をしたので、
わたしはあわてて言いました。

「映画。映画館行きたい」

「今なにか観たい映画でもやってるのか?」

「……知らないけど」

「まぁいいよ。映画館行こう」

2人乗りの自転車で駅前に出て、電車に乗りました。
目的地の駅に近づくと、電車の窓越しに映画の看板がいくつも見えました。

「○○、どれがいい?」

「ジュラシックパークが良い」

「お前……恐くないのか?」

「トカゲとか虫は平気。犬のほうが恐い」

「じゃ、それにするか」

ジュラシックパークは、原作を文庫本で読んだばかりでした。
バタフライ効果がどんな風に説明されるか、興味がありました。

次の上映時間までかなり時間があったので、先に食事をとりました。
パスタの専門店で、大きな皿に最低2人前で注文する仕組みでした。

運ばれてきたトマトソースのパスタは、3人前以上あるように見えました。
その大半をお兄ちゃんが片付けました。

早めに映画館に行ってチケットを買いましたが、
ロビーに入ると次回上映待ちのお客さんがたくさん居ました。

「扉が開いたら俺が席取りにいくから、
 お前は後からゆっくり来い」

「うん」

前の上映が終わり、大きな扉が開きました。
お兄ちゃんは素早く人波を分けて入っていきました。

出てくる人が居なくなってから、わたしが中に入ると、
前から5列目ぐらいの真ん中に近い席に、お兄ちゃんが立っていました。

照明が暗くなり、映画が始まりました。
映画は文庫本で2冊の原作を短縮した、アクション物になっていました。
小さなトカゲは恐くないのですが、大画面で恐竜が走り回るのは、
迫力がありました。

思わず身をすくめると、肘掛けに乗せた右手をお兄ちゃんの左手が包みました。

(続く)

●連載182(ここでの連載001)●
2001年12月22日 12時10分41秒

どきーん、と心臓のあたりに衝撃が走りました。
右手が熱を持ったようになって、体中が熱くなってきました。

「……だいじょうぶか?」

耳許でお兄ちゃんの囁く声がしました。
わたしは黙って前を向いたまま、何度もうなずきました。

喉がからからに渇いて、スクリーンを見ていても意味がわかりません。
わたしはストローをくわえ、冷たいジュースをごくごくと飲みました。

スクリーンに幕が下り、照明が点きました。
観客が立ち上がって、ざわめきながら出口に向かいます。
人の群れが少なくなってから、わたしとお兄ちゃんはロビーに出ました。

「面白かったな……どうした?」

わたしは顔をしかめ、こめかみを押さえていました。
数時間も閉め切った空間にいたせいか、頭痛がしていたのです。

「ちょっと……頭が痛い」

「我慢できるか?」

「うん……外の空気吸ったら、治ると思う。
 先に、トイレ行ってくる。ここで待ってて」

わたしはお兄ちゃんをソファーに座らせて、トイレに行きました。
用を足してからハンカチを水で絞り、額を冷やしました。

お兄ちゃんと肩を並べて映画館を出ると、熱気が顔に当たりました。
と、いきなり知らない男の人から、声をかけられました。

「おっ! ××じゃないか?」

お兄ちゃんは立ち止まって、その男の人の名前を呼びました。
どうやらお兄ちゃんの知り合いらしい、とわかりました。
男の人は親しげに笑って、話し始めました。

「久しぶりだなぁ、いつこっちに帰ってきたんだ?」

「いや、夏休みだから里帰りしてるだけ。高校はあっちだよ」

「そっかぁ……また遊びたいとこだけど、お邪魔か?」

男の人は、いわくありげな目をしてわたしを見ました。
お兄ちゃんは視線を遮るように前に出て、言いました。

「何考えてんだ? これは俺の妹。誤解すんなよ」

「ほぉー、あの愛しの妹君かぁ。紹介してくれるんだろ?」

男の人はにやにやしています。

「大事な妹を、オマエみたいな遊び人には紹介できんなー。
 ちょっかい出したら殺すぞ?」

「こっわー。マジになんなよ。妹君が怖がるだろ?
 まぁ暇が出来たら連絡しろよ。電話番号変わってないから」

何が可笑しいのか、男の人はひとりで笑いながら去って行きました。
わたしは自己紹介もできず、きょろきょろしていました。

「お兄ちゃん、今の人、お友達?」

「ああ、昔のな」

「自己紹介しなくて良かった?」

「要らん要らん。あいつは悪ふざけが大好きなんだ。
 今度どこかで会って声かけられても、付いてくんじゃないぞ?」

「うん」

お兄ちゃんの友達から、お兄ちゃんの話を聞いてみたいな、
と思いましたが、先に釘を刺されてしまいました。

「これからどうする? ぶらぶらして晩飯食って帰るか?」

「まだ頭が少し痛いし……もう帰りたい」

「そっか、じゃあ美味しいモンでも買って帰ろう」

駅前のケーキ屋で、わたしの好きなショートケーキを買いました。
お兄ちゃんの態度はいつもと変わりがないようで、どこか違って見えました。

あるいは、変なのはわたしのほうで、お兄ちゃんはいつも通りだったのか、
それとも、2人ともおかしかったのかもしれません。

今までお兄ちゃんと一緒だと、安心してホッとしていたのに、
どこかに、言葉にすることのできない微妙な緊張感がありました。

電車の中で、お兄ちゃんが尋ねてきました。

「○○、映画、面白かったか?」

「うん、CGが迫力あった。恐竜が生きてるみたいだった。
 原作の細かい説明が、ほとんどなくなってたのは残念だけど、
 仕方ないね」

「なんだ、原作読んでたのか」

「文庫本で2冊。こないだ読んだ。お兄ちゃんも読む?
 カオス理論の話とかあって、面白いよ」

「じゃ、後で貸してくれ。寝る前に読んでみる。
 俺が田舎に戻る前に、読んでしまえればいいけど……」

「お兄ちゃん……いつ出発?」

「あと、2〜3日したらな」

「そんなに……早く?」

「ん……ああ。あっちでの用事もあるんだ」

お兄ちゃんはやっぱり、わたしを避けているんじゃないだろうか、
そう思ってわたしは顔を伏せました。

(続く)

●連載183(ここでの連載002)●
2001年12月22日 20時51分33秒

それからのわたしは、ぼんやりすることが多くなりました。
お兄ちゃんに名前を呼ばれても、しばらく気がつかないくらいに。

日曜学校に行ったり、挨拶やふつうの会話をしていたはずなのに、
どれも記憶からすっぽり抜け落ちています。

お兄ちゃんが田舎に戻ってしまう前日の夜、
晩ご飯の席で、わたしはお兄ちゃんに呼びかけました。

「お兄ちゃん……」

「ん、なんだ?」

お兄ちゃんが顔を上げて、わたしを見ました。

「…………」

問い返されても、なんと口にしたら良いのかわかりません。
このままではいけない、と理解してはいましたが、
うっかりしたことを口走ったら、何もかも終わってしまう、
そんな不安が喉を締めつけていました。

「どうした?」

お兄ちゃんは怪訝そうな面持ちで、わたしの顔を覗き込みます。

「……なんでもない」

わたしはやっとのことで、ため息のように言葉を吐き出しました。
わたしが目を逸らして食事を続けているあいだ、
お兄ちゃんはじっとこちらを見つめているようでした。

口に入れた物の味が舌に感じられない、重苦しい食事が済んで、
お風呂に入りました。わたしが先で、お兄ちゃんが後でした。
「いっしょに入りたい」と言える雰囲気ではありませんでした。

パジャマに着替えて部屋に戻り、ベッドの上でごろごろ転がりました。
なんとかしないと、このままお兄ちゃんは田舎に行ってしまう……
そんな焦燥感がわたしを突き動かしました。

わたしは部屋を出て、階段を下りました。
リビングに入ると、お兄ちゃんが生乾きのカールした髪を垂らして、
ソファーにもたれていました。

お兄ちゃんはクリスタルグラスを手にしていました。
テーブルには、ウイスキー瓶とピッチャー、氷を盛った籠が載っています。
グラスに入っているのは、ウイスキーと氷だけのようでした。

「お兄ちゃん」

お兄ちゃんはハッとしたようでした。
わたしは足音を立てないで歩く癖があるので、
すぐそばに近寄るまで気づかれないことがよくあります。

「○○か……お前も飲むか? アルコールは拙いんだっけ?」

お兄ちゃんがわたしにお酒を勧めたのは、これが初めてでした。
お兄ちゃんはお酒を飲んでも顔色が変わらないので、
酔っているかどうか、さっぱりわかりません。

「別に、腎臓には悪くないと思う」

腎炎でも度を過ごさなければ、アルコールには食欲増進の効果があります。
もちろん、お兄ちゃんもわたしも未成年だというのは、別の問題です。

「まぁ座れ。作ってやる」

お兄ちゃんはリビングボードからもう1つグラスを取り出して、
氷を入れ、ウイスキーを水で薄めました。

わたしはお兄ちゃんの隣に腰を下ろしました。
受け取ったグラスの中身は、薄い琥珀色でした。

「薄ーくしたけど、一気に飲むなよ?」

わたしは思い切って、グラスに口を付けました。
苦さと辛さが入り混じったような味でした。
喉を通るときに、ひりひり灼けるような感じがして、
お腹の中がぱあっと温かくなりました。

「どうだ?」

「……からい」

よく見ると、お兄ちゃんの目つきがとろんとしているようでした。
でも、以前と同じ、優しげな目でした。

「テレビもつけないで、お酒ばっかり飲んでたの?」

「うー、お前絡み酒か? 勘弁してくれ。
 いっしょにまた『台風クラブ』でも観るか?」

お兄ちゃんといっしょに『台風クラブ』を観るのは、これで5〜6回目でした。
ストーリーは頭に入っていましたが、何度観ても映像と音楽に心がざわめきます。

わたしはちびちびと1杯飲んだだけでしたが、
お兄ちゃんはそのあいだもグラスを重ねていました。

ビデオが終わると、わたしは「うにゃ〜」と言って、
お兄ちゃんの肩にもたれかかりました。

お兄ちゃんが指で首や顔をくすぐってきたので、
わたしはお兄ちゃんの人差し指を噛んで、指先をぺろぺろ舐めました。

お兄ちゃんは「お返しだ」と言って、わたしの右手を取り、
口に入れました。人差し指から小指まで全部、入ってしまいました。

舌の感触に驚いてわたしが指を引き抜くと、お兄ちゃんは立ち上がりました。

(続く)

●連載184(ここでの連載003)●
2001年12月23日 21時18分56秒

「ん〜、飲み過ぎたみたいだ。夜風に当たってくる」

お兄ちゃんはふらついてはいませんでしたが、声がうつろでした。
わたしはアルコールのせいか、動悸がしていました。

「わたしも行く」

あわてて立ち上がると、軽い眩暈がしました。
お兄ちゃんがわたしの二の腕を掴んで、支えてくれました。

「お前は先に寝てろよ」

「行く」

「危ないだろ?」

「行く」

「……はぁ、しょうがないな。じゃ、着替えてこい」

「待ってる?」

「待ってる」

わたしは2階に上がって、外出着に着替えました。
パジャマのボタンを外すのに、やけに時間がかかって焦りました。

下りていくと、お兄ちゃんは玄関で靴を履いていました。
お兄ちゃんの後を追って外に出ると、火照った肌に夜気が当たって、
顔や腕がぴりぴりと痺れるようでした。

お兄ちゃんとわたしは、あてもなく歩きだしました。
やがて広い道に出ました。
白や赤の車のランプがひっきりなしに行き過ぎました。

いつもなら、わたしの歩くペースに合わせてくれるのですが、
今日のお兄ちゃんは、わたしより先に歩いていきました。
わたしはお兄ちゃんの背中だけを見て、早足で追いかけました。

お兄ちゃんはふと立ち止まり、右手を斜め後ろに差し出しました。
わたしは追いついて、その手を取りました。

わたしは引っ張られるように、夜の道を歩きました。
見上げても、まとまってない髪が邪魔をして、
お兄ちゃんの横顔はよく見えませんでした。

風はあまりなく、空の星も月も雲に霞んでいました。
台風が来れば良い、と思いました。
激しい雨と風のなかを、ずっとこのまま歩き続けたい、と。

お兄ちゃんが立ち止まり、振り向きました。

「事故だ」

向こうのほうに、パトカーが停まっていました。
前が潰れた白い乗用車が、道の端にうずくまっています。
警官2人と関係者らしい人が、そのそばで何か話しているようでした。

「脇道に入ろう。酔ってるのがばれると拙い」

お兄ちゃんとわたしは、右に折れて細い道に入りました。
街灯もまばらにしかない、暗い道でした。

お寺のような大きな家の前を通ったとき、
中からいきなり犬に吠えかけられました。何頭もの大きな犬でした。
わたしは思わずすくみ上がって、お兄ちゃんの手を固く握りました。

「だいじょうぶ。出て来れないよ」

お兄ちゃんはくすっと笑って、足早にその家を通り過ぎました。
しばらく行くと、道路脇に大きな庭石のような岩が置いてありました。

「まだ犬が恐いのか?」

「少し……」

犬の前に立つと、それが子犬でも思わず体が緊張してしまいます。
お兄ちゃんはわたしを岩に座らせて、
道の向かい側にあった自動販売機で缶コーヒーを2本買いました。

お兄ちゃんが缶のプルタブを開けてくれました。
わたしは手の爪が弱くて、道具がないとプルタブを開けられないのです。

妙な甘みのする不味いコーヒーでしたが、冷たくて目が覚めました。
お兄ちゃんも庭石に腰を下ろし、コーヒーを飲み始めました。

「……○○」

「なに?」

「こうやってお前といっしょに歩けるのは、いつまでだろうな」

どことなく、過ぎ去った遠い昔を懐かしむような声音でした。
わたしは声に力を込めて、言いました。

「ずっと」

「そうだったらいいけどな……。
 お前もいつか、彼氏ができるだろ。
 大人になって、結婚して、子供を産んで……ちょっと気が早すぎるか」

お兄ちゃんはひとりで笑いました。

「そうなったら、俺のことより旦那や子供のことが大事になる」

「わたし、結婚しない。子供も欲しくない」

「……どうして?」

「わたし、変わってるもの。相手なんか居ないと思う」

「今からじゃわからないって……。
 これから色んな出会いがあるさ。お前にも」

「お兄ちゃんも?」

「ん……たぶんな」

お兄ちゃんは立ち上がって、空き缶をゴミ籠に捨てました。

(続く)

●連載185(ここでの連載004)●
2001年12月25日 20時46分12秒

わたしも立ち上がって歩み寄り、空き缶をゴミ籠に入れました。

「○○、もう帰るか?」

「ずっと、歩いていきたい」

本心でした。このまま歩き続ければ、夜は終わらない気がしました。
見上げるわたしの目を、お兄ちゃんが見返しました。
自動販売機の明かりに浮かぶお兄ちゃんの姿は、彫像のようでした。

「それは……無理だろ」

深いため息のような声でした。

「お前も俺も、じきに大人になる……もう子供でもないしな」

わたしは答えず、何かに引き寄せられるように、
お兄ちゃんの肩に顔をくっつけ、広い背中に両腕を回しました。

わたしは泣いてはいませんでした。
でも、身を寄せてもまだ、お兄ちゃんとのあいだに隙間があるようでした。
お兄ちゃんの手のひらが、わたしの背中をぽんぽんと叩きました。

「心配すんな……。
 いくつになっても、離れていても、お前はたった1人の妹だ。
 どうしても助けて欲しいことがあったら呼べ。
 どんな時でも、どこに居ても、すぐに助けに行く」

静かな、何でもない声でした。でも、冗談には聞こえませんでした。

「誓って、くれる?」

誓う、ということは、わたしにとって、特別な重みがありました。
どんなことがあっても破らない約束、という意味です。
そのわたしの考えを、お兄ちゃんは以前から知っていたはずです。

「ああ」

当たり前のことを訊かれたような、あっさりした答えでした。
わたしはお兄ちゃんから身を離して、背を向けました。

「わかった……帰ろう、お兄ちゃん」

帰り道は、来たときの道を逆方向に歩いているだけなのに、
違った景色に見えました。

「お兄ちゃん」

「なんだ?」

「また、散歩したいね。わたしが元気になったら、夜のあいだずっと」

「夜行性だな。不審人物め。昼間はダメなのか?」

「散歩は夜するものだよ。昼間は暑すぎるから。砂漠の民の常識」

お兄ちゃんは笑いながら言いました。

「いつから砂漠になったんだここは……ラクダに乗っていくのか?」

「つーきのー、さばーくをー、はーるーばーるとー♪」

わたしは調子外れの声で、歌いだしました。
わたしの下手くそな歌声を聴いているのは、お兄ちゃんだけです。
お兄ちゃんがよく通る声で、唱和しました。

「たびのー、らくだがー、ゆーきーまーしたー。
 きんとー、ぎんとのー、くうらー、おーいてー、
 ふたつー、ならんでー、ゆーきーまーしたー♪」

続きの歌詞がわからなくなって、最初のほうだけ何度も繰り返しました。
握った手と手を、曲に合わせて前後に振りながら。

「お兄ちゃん、わたしたち変だね」

「くっくっく、変だな」

「人が見てたら、気が狂ったと思うかな?」

「かもな」

家に着きました。歩いていたせいで、体が温まっていました。
階段を上って、ドアの前でお兄ちゃんと向かい合いました。

「お兄ちゃん、明日は……早い?」

「ん……明日は早く発つよ。お前はゆっくり寝てればいい」

「いや。見送りに行く……駅までなら、良いでしょ?」

「お前もはっきり言うようになったなぁ……」

「駅で泣いたりしないよ。わたし、泣かないことに決めたから」

「……無理すんなよ? 泣ける時は泣いといたほうがいいぞ」

「こんなことで泣かないよ」

わたしは笑顔を見せました。上手く笑えた、と思います。

「お兄ちゃん、おやすみなさい」

「おやすみ」

わたしは部屋に入って、扉を閉めました。
本当に、悲しくはありませんでした。
苦しいような、熱いような、もやもやしたものが胸に満ちていました。

わたしはパジャマに着替え、ベッドに入りました。
長いこと歩いた疲れが出てきたのか、わたしはすぐに眠りに落ちました。

翌朝早く、丸まって寝ていたわたしは、肩を揺らされました。

「○○、起きるか?」

「起きる!」

わたしは向き直って、目をぱっちり開けました。
窓のカーテンを開けると、まぶしいくらい晴れていました。

(続く)

●連載186(ここでの連載005)●
2001年12月26日 19時43分20秒

「お兄ちゃん、まだ、時間ある?」

「あわてるな。朝飯の時間ぐらいはあるさ」

わたしは時間を無駄にしたくなくて、急いで洗面所に下りました。
顔を洗ってダイニングに入ると、何も支度してありません。

「朝ご飯、これから支度するの?」

「たまには駅前の喫茶店でモーニングセットでも食べよう」

「うん……良いね」

わたしは自分の部屋に戻って服を着替え、リップを塗りました。
お別れの日だというのに、これからデートが始まるように、
胸が沸き立っていました。

階段を下りていくと、お兄ちゃんが下で待っていました。

「ああ……それ、こないだ買ったワンピースだな。
 これから旅行に行くみたいだ」

わたしはお兄ちゃんに、笑い返しました。

「駅までね」

肩を並べて、バス停までの道のりを歩きました。

「明るい時に見ると、夜の散歩の時とはぜんぜん違って見えるな」

「うん。なんだか、違う国の違う街みたい……」

「今度帰って来た時は、また少し変わってるのかな。
 お前も背が伸びてるだろうし」

「冬休みまで、4ヶ月しかないよ?」

「お前は今が成長期だぞ。一気に背が伸びて追いつかれるかもな」

「そんなわけないよ〜」

この時、お兄ちゃんとの身長差は25センチ以上ありました。
バスが来ました。乗り込んでみると、空いた席は1つしかありませんでした。

「座れ」

「いっしょに立ってる」

「いいから座れって。ふらふらしてるの見てると危なくてたまらん」

わたしは仕方なく腰を下ろしました。
次のバス停で腰の曲がったお婆さんが乗ってきたので、
わたしは席を立ちました。

「席なくなっちゃった」

「しょうがないな……」

お兄ちゃんは吊革を掴んでないほうの手で、わたしの肩を押さえました。
わたしは手すりを握っていましたが、バスが大きく揺れるたびに、
自然とお兄ちゃんの胸にぶつかりました。

「お前……1人でバスに乗ってる時はどうしてるんだ?」

「手すりにつかまってる」

「揺れるたびにひっくり返りそうで見てて恐いよ」

「……たまに、席を譲られることある」

お兄ちゃんが笑い声をあげました。
席に座っている人が振り向くくらい大きな声だったので、
わたしはお兄ちゃんの脇腹をぎゅっとつねりました。

「痛っ!」

「他のお客さんに迷惑」

「少しは手加減しろよ……」

駅前のロータリーでバスを降りました。
セルフサービスのカフェで、サンドイッチモーニングセットを2人前。
お兄ちゃんはハムサンド、わたしはツナサンドです。

わたしは砂糖を入れる前に、濃いコーヒーを一口飲んで顔をしかめました。

「砂糖を入れないのか?」

「お砂糖入れる前に、一口飲む習慣なの」

「なんでそんなことするんだ……?」

お兄ちゃんは理解できないといったふうに、首を傾げました。

「砂糖もミルクも入れないで飲むと、美味しいかどうかわかるから」

いつもブラックで飲むお兄ちゃんは、ふーんと言ってカップに口を付けました。
本当は、お兄ちゃんの真似をしただけでした。

「半分食べて。お兄ちゃん、それだけじゃ足りないでしょ?」

わたしはツナサンドの皿を押しやりました。

「お前、それっぽっちで足りるのか?」

「お兄ちゃんみたいに食べられないよ。
 お兄ちゃんは、いつもわたしの3倍は食べてる」

「まぁ……俺も育ち盛りだからなぁ……それぐらい普通だ」

わたしはサンドイッチを一切れ手にとって、差し出しました。

「それとも、『あ〜ん』ってしてほしい?」

「ば、ばかっ。恥ずかしいことすんなよ!」

お兄ちゃんはわたしの手から、素早くサンドイッチを奪い取り、
口に入れました。
赤くなったお兄ちゃんの顔を見て、わたしはくっくっと笑いました。

お兄ちゃんはサンドイッチを呑み込んで、言いました。

「○○……今日ははしゃいでるな。こんなの始めてじゃないか?」

「……変、かな?」

「変……ってことはないけど、ワケがわからない。
 いつも、別れる日はもっと沈んでただろ?」

「うん……わたしにも、よくわからない。
 最近、お兄ちゃん、わたしを避けてたでしょ?」

「それは……」

「でも、ゆうべいっしょに散歩して、そうじゃない、ってわかったから。
 お兄ちゃん、わたしが嫌い?」

「そんなわけないだろ」

「だったら……それで十分」

目をつぶると、熱いものが胸にこみ上げてきました。

(続く)

●連載187(ここでの連載006)●
2001年12月27日 20時59分7秒

戸惑ったような、お兄ちゃんの声がしました。

「○○……」

わたしは目蓋を開けて、言いました。

「だいじょうぶ。なんでもない」

ポーチから腕時計を取り出して、文字盤を見ました。

「そろそろ、時間?」

「ああ」

「じゃあ、行きましょ」

トレイをカウンターに戻して、カフェを出ました。
駅の入り口の手前で、お兄ちゃんが立ち止まりました。

「ここまででいいよ。キリがなくなる」

心なしか、お兄ちゃんの声が寂しげに聞こえました。
振り向いたお兄ちゃんに、わたしは微笑みかけました。

「うん……じゃあ、お兄ちゃん、行ってらっしゃい」

「ん……行ってくる……えっとな、○○」

「なに?」

「友達、いっぱいできるといいな。でも、あんまり無理すんなよ」

「うん」

「じゃな」

お兄ちゃんは軽く手を振って、歩み去って行きました。
わたしはお兄ちゃんが見えなくなるまで、その場で見送りました。

お兄ちゃんの背中が見えなくなっても、じっと立っていました。
電車を降りて駅から出てきた人たちが、わたしの両側を通り過ぎました。

どれぐらいそうしていたのか、はっきりしません。
我に返るとわたしは、しぼんだ風船になったような気がしました。
大きなため息が、自然に出てきました。

「はぁ……行っちゃった」

さっきまでの元気が、お兄ちゃんといっしょに旅立ってしまったようでした。
わたしは口の中でつぶやきました。

「ダメだな……こんなじゃ」

無理に笑顔を作ろうとしても、変に顔がひきつるだけでした。

そのあと、どんなふうにして家に帰ったのか、記憶がありません。
ビデオを早送りしたように、場面が変わっていきます。

Uが怪訝そうな声で、わたしに呼びかけました。

「……○○? どないしたんや」

「……! あ、なに?」

Vの部屋でした。Vは向こうでうつぶせになって、ぐったりしています。

「なにやあらへんで、人の話聞いてるか?」

「……ごめん。ぼうっとしてた」

「アンタ、ホンマにおかしいで? Vはアレやし……」

「どうしたの?」

「聞いてなかったんかいな! Xの兄ちゃんに追い出されたんやて。
 勉強にならへんから当分来るな、って」

「なるほど。受験勉強の邪魔したの? V」

「ううー。おにーちゃん冷たいよー」

「自業自得やろ……それより○○、宿題は持ってきたんか?」

「うん……言われたとおり、全部持ってきたけど」

「じゃあ、ぼちぼち宿題片付けよか」

「わたしはもう終わっちゃったよ?」

「わたしはまだやねん。写さして、な?」

Uが拝むように両手を合わせました。

「良いけど……どれぐらい済んでるの?」

Uが黙って差し出した宿題のプリントを見ると……。

「……まだなんにも出来てないじゃない」

わたしはさすがに呆れました。

「今から自力でやって終わらせるのはムリや」

Uは力一杯断言しました。

「あのねぇ……自信たっぷりに言うことじゃないでしょ?
 読書感想文はどうするつもり?」

「へ?」

国語の宿題は、課題図書として選ばれた3冊の小説のうち1冊を読んで、
感想文を書くことになっていました。

「わたしのでもVのでも、そのまま写したら、
 丸写しだってバレバレだよ?」

「あ……」

Uはぜんぜん考えていなかったようです。
その時わたしの頭に、意地の悪い考えが浮かびました。

「実はひとつ、解決策があるんだけど」

「なんや?」

「わたし、課題図書3冊とも読んでたから、感想文も3つ書いた。
 そのうちの1つをあげようか?」

Uの顔がパッと輝きました。

「おお……ナイスや。持つべきものは友達やなぁ……」

「その代わり、条件があるんだけど」

Uはしぶしぶといった調子で答えました。

「うー……そうきたか。この際やから、パフェぐらいおごるで」

「パフェは要らない。それより、お兄さんを一日貸してくれる?」

(続く)

●連載188(ここでの連載007)●
2001年12月28日 17時45分39秒

「な……」

Uは言葉を失いました。目を見開いて、凝固しています。

「お兄さんはUの奴隷なんでしょ? Uが言えば聞いてくれるね」

「ちょ、ちょっと待ち! どういうコトやねん!」

Vが身を起こして、わたしたちの顔を順に見ました。

「どうしたのー?」

「一度お兄ちゃん以外の人と、デートしてみたかった。
 買い物の荷物持ちしてもらったり、喫茶店に行ったり」

「アンタ……兄ぃを前に振ったんと違うんか?」

「別に告白されたわけじゃないよ。振るも振らないもないと思うけど?」

「趣味悪いでぇ! あんなオタクでスケベなアホのどこがエエねん!」

「そう……? 優しいし、エッチなことしないし、良い人だと思う」

「本気……なんか?」

Uが真っ青になっているのを見るのは、実に珍しい経験でした。
わたしは、笑いの発作をこらえるのに必死でした。

「デートするだけなのに、大袈裟だよ」

「兄ぃは純情やから絶対本気にするで!」

「お兄さんは、わたしに好きな人が居る、って知ってるから、だいじょうぶ」

Uは返事をせず、顔を伏せて黙り込みました。
Vがおそるおそる、口を挟みました。

「どうなってるのー? わたしぜんぜんわからないよー」

反応が無くなったUを見て、わたしはやりすぎたかな、と思いました。

「……U、どうしたの? もしかして……泣いてる?」

床に座っているUの近くに這っていきました。
下から覗き込むと、Uは目蓋を固く閉じています。

「今のは冗談。ごめんなさい……U、怒った?」

「アホぅ……」

Uが低い声で、ぼそりとつぶやきました。

「兄ぃはなぁ……兄ぃはなぁ……」

「なに?」

「兄ぃは、わたしの本当の兄貴やない……」

「ええっ!」

今度はわたしが言葉を失いました。

「ホンマはわたしは兄ぃの従妹なんや。
 産まれてすぐ両親が死んで、
 今のお父ちゃんとお母ちゃんに貰われた……。
 ずっと兄ぃが好きやった……」

Uの突然の告白に、わたしは圧倒されました。

「兄ぃとわたしを弄ぼうやなんて……そんなんヒドイで……」

「ごっ、ごめんなさい」

わたしは土下座して、床に額をこすりつけました。

「傷つけるつもりじゃなかった。
 ごめんなさい。ごめんなさい」

重大すぎて、言い訳の言葉を思いつきませんでした。
Vが呆然としたような声で言いました。

「Uちゃん……知らなかったよー」

「許したる……その代わり、夏休みの宿題は全部見せてもらうで」

「え?」

一転した明るい声に、Uを見上げると、にやにや笑っています。
わけがわからなくて首を傾げるわたしに、Uが宣告しました。

「アンタも馬鹿正直やなぁ……。
 兄ぃとわたしはよう似てるやろ? ホンマの兄妹に決まってるやん」

「ウソ……だったの?」

「アンタも冗談やったんやろ?
 目には目を、歯には歯を、やられたら三倍返しや。
 ハンムラビ法典にも書いてある」

「それちょっと違う……」

「まぁエエわ。兄ぃは貸したる」

「え? そんな、悪いよ」

「アンタも最近元気なかったからなぁ……これも友情のしるしや。
 なんぼでもこき使ってかめへんで」

「その……お兄さんに悪いと思うんだけど」

「どうせ兄ぃにデート申し込むなんて物好きはアンタぐらいや。
 夢見せたってもかめへんやろ」

Vが横から、人ごとのように言いました。

「Uちゃん、悪魔?」

「誰が悪魔やねん!
 まぁ兄ぃにはわたしから言うとく。日にち決まったら電話するわ。
 それより宿題片付けよか。早うせんと終わらへん」

「うん……」

「○○ちゃん、うしししし、デートだねー。いいなー」

Vが冷やかしてきました。
やっぱりこの2人に勝つのはわたしには無理だ、と思いました。

数日経って、デートの日になりました。
わたしは約束の時刻に遅れないように、早めに家を出ました。

本当はデートとは言えないのですが、それでも緊張してきました。
バスを降りて、駅前のロータリーの屋根の下に立ちました。

(続く)

●連載189(ここでの連載008)●
2001年12月29日 19時59分46秒

お兄ちゃんと出かけるとき、外で待ち合わせることはありませんでした。
本当のデートのような気がしてきました。

約束の時刻の10分前に、人影が駐輪場のほうから駆けてきました。
服装がいつものYさんと違っていて、顔を見るまでわかりませんでした。

「ハァハァ……ごめん、待った?」

「わたしが早く来すぎただけです。走らせてごめんなさい」

「いやいやいいっていいって」

Yさんは、少し離れてわたしの全身を眺め回しました。

「それ、この前デパートで買ったワンピースだね。
 さっそくだけど、1枚撮らせてもらっていいかな?」

Yさんは小さな鞄から、小さなカメラを取り出しました。

「今日は、ずいぶん小さいカメラですね」

Yさんはカメラを構えながら、苦笑しました。

「Uのやつがね……でかい鞄持って行くなんてもってのほかだって。
 この服もあいつが勝手に選びやがって……」

いつもと違って、折り目のきちんと付いた柿色のズボンでした。

「Uは今日のこと、なんて言ってたんですか?」

「う〜ん、それがよくわからないんだ。
 ○○ちゃんの元気がないから買い物の荷物持ちに行け、ってさ。
 デートじゃないんだからくれぐれも誤解するな、って釘を刺されたよ。
 だけど○○ちゃんに恥かかせるようなことがあったら承知しない、って。
 どういうことなんだろう?」

「あの……わたしがUにわがままを言ったんです。
 ご迷惑なら……やっぱり止めましょうか?」

「迷惑なんてこと無い無い。
 Uに買い物付き合わされるのに比べたらラッキーさ。
 あいつ人におごらせといて無茶苦茶言うからなぁ」

「Uと買い物に行くのは、嫌なんですか?」

Yさんの顔がまじめになりました。

「いや、そんなことないよ。
 口うるさいけど無視されるよりはマシさ。
 あいつが小さいときはもっと素直で可愛かったんだけどなぁ。
 反抗期ってやつかな?」

Yさんは大袈裟にひとつため息をついて、言いました。

「それじゃ、行く?」

「はい」

Yさんはすたすた歩きだして、立ち止まり、振り返りました。

「えっと……どこ行くんだっけ?」

Uとの買い物とは勝手が違うのか、Yさんは落ち着きがないようでした。
わたしはそれを見て、かえって平静になりました。

「わたしがいつも歩くコースですから、ご案内します」

「そう……それで、その……手、つないだりするのかな?」

「え?」

「あ、いや、ほら、○○ちゃんは方向音痴だって聞いたから」

「わたしでも、いつも歩いているコースなら迷いません」

「あ、そりゃそうだね、ハハハ、何言ってんだ俺」

Yさんは頭をかきました。哀れなほどうろたえています。
わたしはふふっと笑って、右手を差し出しました。

「手、つなぎましょう」

「え、いいの?」

わたしがうなずくと、Yさんはわたしの手を取りました。
びっくりするほど熱くて、しっとりした手のひらでした。
歩きだして、Yさんが言いました。

「○○ちゃん、手が冷たいね」

「体温が少し低いみたいです。お兄さんは熱いですね」

「あ、俺は体温が高いのかな? アハハ」

2人で肩を並べて、デパートに向かいました。
冷房の効いた店内に入ると、すうっと汗が引きました。

衣料品のフロアでは、もう秋冬物が展示されていました。
わたしはそぞろ歩きしながら、ゆっくり品定めしました。
ふとYさんの顔を見ると、居心地が悪そうに目を逸らしています。

「お兄さん、どうかしました?」

「いや……なんか場違いみたいで、人に見られてるような……」

「気のせいじゃないですか?」

ゆったりした薄いカーディガンが目に留まりました。

「お兄さん」

「なに? 買いたい物見つかった?」

「あの……わたしが店員さんに捕まって、逃げられなくなったら、
 助けてください。断るの苦手なんです」

「よっしゃ、まかしとき」

(続く)

●連載190(ここでの連載009)●
2001年12月30日 21時5分41秒

Yさんは腕組みをして、わたしの後ろに立ちました。
わたしが棚の前に陣取って、ゆっくりと商品を眺めていると、
ぱりっとした制服を着た店員が近寄ってきました。

「なにかお探しですか?」

「あ……ちょっと、見てるだけです」

知らない人と話をすると、鼓動が早くなりました。
ちらりと振り返ると、Yさんがしかめっ面をして店員を睨んでいます。
そのせいか、店員はそそくさと立ち去りました。

「ありがとうございました」

「なにか気に入ったのあった?」

「はい」

結局、そこでクリーム色のカーディガンを買いました。
そのあと、ソックスと靴も買い込みました。
荷物を手に提げて歩きながら、Yさんが言いました。

「軽いモンばっかりだね。これじゃ荷物持ちが楽すぎる」

「お兄さんは、なにか買う物ないんですか?」

「今日は特にないなぁ。身だしなみに気を付けろってUがうるさいけど、
 それより新しい交換レンズが欲しいよ。
 バイト代が入っても、Uにたかられたら残るかどうか……」

「……搾取されてるんですね」

「搾取って……えらい難しい言葉使うね。
 まだ中学じゃUもバイトするわけにはいかないし、
 おねだりされるときだけは頼られるから悪い気はしないよ」

「お兄さんって、やっぱり優しい」

「アハハハハ、照れるな。
 Uもそんな風に言ってくれるといいんだけどなぁ……。
 あいつはきっついからなぁ」

「Uも本当は、感謝してると思います」

「だといいなぁ……ポンポン言われてばっかりだから、情けないよ」

それからしばらく、Uがいかに無鉄砲で怒らせると怖いか、
そんな話題で盛り上がりました。
深刻な顔で大袈裟に語るYさんに、わたしは笑いをこらえきれませんでした。

「ハハハハハ、こんな話してるのUにバレたら、殺されるね」

「くくくく、そうですね……あ、後ろにUが!」

わたしが背後を指さすと、Yさんはその場で凍りつきました。

「……というのは、ウソです」

わたしが舌を出して見せると、Yさんはがっくりと両膝に手をつきました。

「……心臓止まるかと思った。
 そんな真面目な顔で冗談言われたら、本気にしてしまうよ」

Yさんは大きく胸で息をしていました。

「ごめんなさい……」

「あ、いや、冗談だったら気にしなくていい」

「お兄さん、甘い物は好きですか?」

「え? あ、まぁ好きだけど」

「じゃあ、お詫びにおごります」

わたしは先に立って、デパートの中の喫茶店に入りました。

「ちょ、ちょっと……」

Yさんが追いかけてきました。

「お2人ですか?」

ウェイトレスさんに尋ねられて、うなずきました。
Yさんはテーブルの向かい側の席に着くと、小声で言いました。

「ここ……女の人しか居ないね」

Yさんは首をすくめて、いかにも居心地が悪そうでした。

「ここはパフェが美味しいんです。
 チョコレートパフェとフルーツパフェ、どっちが良いですか?」

「お、俺もパフェ食べるの?
 ……コーヒーか紅茶はないのかな?」

「ありますけど、ここに来てパフェを食べないなんて、犯罪です」

「犯罪?」

「犯罪は言い過ぎかもしれません。冒涜です」

「……わかった。チョコレートパフェ頼む」

横に控えたウェイトレスさんが、笑いをこらえていました。

「わたしも、チョコレートパフェお願いします」

ウェイトレスさんが引っ込むと、Yさんはグラスの水を飲みました。

「お兄さん、Uとはこんなところに来ないんですか?」

「……コーヒーショップとかハンバーガー屋だなぁ、いつも。
 こんな高級そうな店には入らないよ」

その喫茶店は、壁といい調度品といい、19世紀風でした。

「じゃあ、今度はUと来てください。きっと喜びます。
 ちょっと高いですけど……」

わたしがパフェの値段を口にすると、Yさんは「そんなに高いの?」と
目を剥きました。

(続く)


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