出会い-無料BBS
連載317
春の陽気が、わたしに新しい生活を運んできました。
まだ着慣れない制服、わたしの細腕では一度に持ちきれないほどの教科書、
そして……誰ひとり見知った顔のない教室。
同じ中学の出身者には、わたしのことを覚えている人も居たでしょう。
けれど、ろくに中学に登校していなかったわたしには、心当たりがありません。
少しも寂しくなかった、というと嘘になります。
でも、お兄ちゃんが、仕事をやりくりして入学式に来てくれました。
それだけで、わたしには十分でした。
山のような教科書と副読本を、お兄ちゃんが代わりに持ってくれました。
最初のホームルームでどんな自己紹介をしたのか、思い出せません。
きっと緊張して上の空だったのでしょう。
クラスメイトたちの顔と名前を覚えるのは苦手中の苦手でした。
幻のように過ぎたホームルームの後、わたしは人の群れから離れ、
お兄ちゃんと二人、校庭の桜並木の下を通って帰途に就きました。
バス停へと向かう道を歩きながら、お兄ちゃんが訊いてきました。
「新しいクラス、どうだった?」
「う……ん。よくわからない。馴染めるといいんだけど」
「また、友達ができるといいな」
「うん……お兄ちゃん、鞄重くない?」
お兄ちゃんの持っているわたしの学生鞄とスポーツバッグには、
買ったばかりの教科書と副読本がぎっしり詰まっていました。
「これぐらい軽いもんだ。しかし、お前には重すぎるかもな……。
バス通学で座れなかったらきついぞ?」
殺人的な通学ラッシュに巻き込まれたら、本当に死んでしまいそうです。
「なるべく、混む時間をを避けて乗るようにするつもり」
「無理するなよ」
住宅街の中にある小さな公園が目に付きました。
このまま真っ直ぐ帰ってしまうのは残念でした。
「ちょっと、休んでいかない?」
「ん? 疲れたか?」
「そうじゃないけど」
背もたれのない木のベンチに腰を下ろして、見上げると、
頭上は粗い格子状の屋根になっています。
お兄ちゃんが格子に巻き付いた蔓に手をやりました。
「これ、藤棚じゃないか?」
あいにくと藤の花はまだ咲いていませんでしたが、
季節になれば咲きこぼれる花房が甘く匂うのだろうな、と思いました。
「咲いていれば絵になったのにね……」
わたしの声には無念さが滲んでいたかもしれません。
お兄ちゃんが笑いました。
「○○は欲張りだな。今日は桜だけでいいじゃないか」
「お兄ちゃんは、桜の花が好き?」
「ああ、散り際が潔すぎるとは思うけどな」
「桜の花言葉はね、『心の美しさ』なんだって」
「へぇ、さすがによく知ってるな。じゃ、藤の花は?」
「……忘れちゃった」
「がくっ。感心して損した」
お兄ちゃんがおどけて膝を折りました。
言えなかった藤の花言葉は……『恋に酔う』でした。
入学して間もなく、部活動の新入部員募集の日がありました。
講堂に集められた新入生の前で、壇上に立った先輩が部の宣伝をします。
わたしにとって運動部は問題外でしたけど、
文化系の部活ならなんとかできるかもしれない、と思いました。
一通りの紹介が済むと、新入生は解散して、
その日いっぱい好きな部活の実態を見学することができます。
わたしはまず、図書室へ足を運びました。
図書室を活動の本拠としているのは文芸部です。
文芸部では部員の詩や小説を会誌に載せているとのことでした。
図書室に入ると、テーブルの上に会誌のバックナンバーが並べてありました。
部活の先輩らしき上級生が数人、そばに佇んでいます。
男子も女子もおしなべて眼鏡をかけていました。
「キミ、入部希望?」
わたしが会誌の表紙を眺めていると、男子の先輩が声を掛けてきました。
態度からしてどうやらこの人が文芸部長のようです。
「まだ、決めていません。少し読んでみてよろしいでしょうか」
「もちろんもちろん。これが最新号ね」
勢い込んで身を寄せてくるので、わたしはずりずりと後ずさりしました。
立ったまま最新号を手に取って、巻頭の短編小説にざっと目を通します。
……最後まで読んでも、話がよくわかりません。
最初に戻って、今度はじっくり時間を掛けて読み直します。
高校生の恋愛物……のようです。
考え込んでいると、また声を掛けられました。
「どうかな?」
どうやら感想を求められているらしい、と理解できました。
「あの……この小説は、連載の途中なんですか?」
「え? いや、違うけど。読み切りだよ?」
(続く)